母の“狂気性”は娘に受け継がれるのか? 映画『Dressing Up』が与える“自分を見る視点”
(左から)船曳真珠氏、ヴィヴィアン佐藤氏、安川有果監督
それは人間として、さらには女としてのお手本が家庭内にいるかどうかが、対人コミュニケーションや女性性の開花にも強く影響するのでは……と、見る者に印象づける。船曳氏に、育美の強さを羨ましがり、仲良くしたいと近づく愛子の存在について問われた安川監督は、「自分にはない要素に惹かれ合う女の子同士も表現したかった」と言及。互いに惹かれ合ってはいるが、育美に対する愛子の羨ましく思う心情と、愛子に対する育美のそれは似て非なるものだと伝わってくる。育美は、愛子のことは最終的には理解できないという絶望さえ理解しているようだった。
また育美の父親(鈴木卓爾)は、母親の真実について語ろうとせず、「良い父親」を演じ続けようとした結果、逆に彼女の心の奥底を刺激してしまう。安川監督が「それでも生き残ってしまった父と娘」と言葉にしたように、育美と父は、「母親の不在を通すことでしか互いを見られない2人」として描かれており、この父という存在が、母娘の関係性に影響を及ぼす重要なファクターであることにも気付かされる。
ヴィヴィアン氏はイベント終盤、総括として、SF作品が掲げるテーマには「人間はどこから来た何者なのか」「母性とは何か」の2パターンしかないと前置きした上で、「恋愛や夫婦の問題は時間がたてば変わっていくものだけど、母と子はやっぱり永遠のテーマ。だからこそ母、ひいては母になっていく女性という存在が表現において重要視されるのは必然のこと」と、本作の普遍性を述べた。
安川監督は、「育美が自ら母親に近づこうとした」とその暴力性を解説したが、そもそも狂気的な一面は母親から遺伝的に受け継がれ、育美は逃れられなかったという見方もできる。ヴィヴィアン氏は、「育美の母親も、もしかしたら育美の祖母からなにかを受け継いでいるのかも」という可能性を示唆しつつ、人は何かしら“母親の代理”のような要素を持っているのだと、育美の狂気性への理解を示した。
母という存在は子にとってあまりにも大きすぎる。だからこそ、救いにもなれば呪いにもなってしまう。しかし、母と自分は異なる存在であって、必ずしも「この母親だからこの子ども」ではない。母親が健在であろうと不在であろうと、冷静に“母親を通して見る自分”の視点を持つことは、母の呪縛による“苦しさ”から解き放たれる一助になるのかもしれない。
(石狩ジュンコ)
【今後の上映予定】
広島 広島国際映画祭 11/21(土)
山口 山口情報芸術センター[YCAM] 12/11(金)、2016年1/8(金)、1/31(日)
広島 横川シネマ 12/12(土)~28(月)※19、20、23日は休映
東京 下高井戸シネマ 12/14(月)~12/19(土)
愛知 名古屋シネマテーク 12/19(土)~12/21(月)
大阪 第七藝術劇場 2016年陽春
京都 立誠シネマプロジェクト 2016年陽春
兵庫 元町映画館 2016年陽春
・『Dressing Up』公式サイト