「ちゃんとしてなきゃ」と飲酒に罪を覚えるママを覆う、“世間体フィルター”の外し方
最近よく思い出すんだけど、小学校の頃、同級生のママで1人、すごくイケてるママがいたんです。スラッとしててハウスマヌカンみたいな黒髪オカッパ頭で、ロングスカートはいてて。くわえ煙草で小学生と普通にしゃべるママ。家もおしゃれだけど気取ってない。その子には2歳上のお兄ちゃんもいるから、男女問わずすごい数の小学生がその家に遊びに行ってるみたいな感じでした。
そのママは「あ~、エイコちゃん、うちの子と遊んでくれてありがとうね~」とか、裏声使って気を使ってしゃべるんじゃなくて、普通のトーンで話してくれるんですよね。悪いことしたら怒られたりもするし、とにかくなんか、子どもから人気があるママでした。
その家の台所には、バーのやつみたいな足の長いイスが一個置いてあって、「なんで台所にイスがあるの?」って聞いたら「おばちゃんあれに座ってお酒飲むんだよ」って笑ってて、昔はやった言葉で言うと「キッチンドランカー」だったんだけど、あのおばちゃんを、最近すっごい思い出すんですよ。自分はああいう、子どもの友達とフランクに話せるママには絶対なれないけど、なんかいいな~、よかったな~って。酒飲んでても、ヘビースモーカーでも、あのママが一番、羨ましいママでした。
ママたるもの、みたいなイメージを持ってるのは大人だけで、実は子どもからすると関係ないんですよね~。なのに大人の世界、すっげー窮屈!
もはやパパたちも、ママと同じくらい、周り気にして行動してる人も多い気がします。でもジイさんは、全然気にしないですよね。気持ちイイくらい、周りなんて気にしてない。うちの近所の公園、日曜日は幼児たちによるブランコ争奪戦になるんだけど、あれって自分の子の「永遠に漕いでいたい」欲求と、「次の子が順番を待っている」視線に付き添いの親たち(ブランコで背中押さなきゃいけない)が板挟みになるんですよね。
ママたちはもちろん、パパたちも「早く、終わろうね! あと10回!」とか露骨に焦り出す。だけどジイさんは「I am here」みたいな感じで、そこにいるだけ。パパもママも、それでいいはずなのになー。
しかしジイさんたちはいつでもどこでも「I am here」なんで、混みまくってるバスとかで目の前にギャン泣き赤ちゃんを抱いてるママがいても、「I am here」のまま、微動だにしないんですよね。ジイさんだからもちろん席は譲らなくていいんだけど、おばあちゃんは「アラアラ」みたいな顔をちょっとしたりしても、ジイさんは表情も何も変わらない。周りの状況に左右されなさすぎ、ていうか目、どこ見てるんだろう? ってくらい同じ次元に生きてる感がしなくって、なんかコレ、座席に映し出されてるプロジェクションマッピングなのかな? って思ったりします。