「おばさん」になるのは案外悪くない。中年の50代女性が得るもの、手放すものの豊かさ
少女から女性へ、そしておばさんへ――全ての女はおばさんになる。しかし、“おばさん”は女性からも社会からも揶揄的な視線を向けられる存在でもある。それら視線の正体と“おばさん”の多様な姿を大野左紀子が探っていく。8つのおばさん像を探ってみえてきた「中年女性」について、今回が最後のまとめです。
中年後期の女性の中にも厳然としてある、広い意味での性欲と被承認欲。言い換えれば、「愛情をどこにどう向けるか」問題と「共同体の中でどんな関係性を求めるか」問題。その解決のかたちを、8つのタイプの趣味やライフスタイルを通して見てきました。
ハンドメイド作品で評価される喜びを発見する「クリエイティブな人」、断捨離を通して自分を見つめ直す「ロハスな人」、ペットとの関係妄想を楽しむ「ペット命の人」、アイドルと共に歳を重ねてゆく「アイドル命の人」、長年鍛えたコミュニケーション能力を活用する「ボランティアな人」、きもので失いかけた自信を取り戻す「和な人」、試行錯誤で自立を探ってきた「クロワッサンな人」、地元に根付き家族に頼られる「ビッグマミィな人」。
いずれも、大都市の先端文化の周辺にいる一握りの女性や、雑誌に出てくるようなセレブマダムではありません。私の周囲にいる人、親しい人、特に親しくはないけど身近で観察してきた人たちがモデルです。もちろん、私自身の像も反映されています。
今はそれぞれに、楽しみや生き甲斐や新たな役割を見つけている50代の女性たちですが、30代から40代にかけてはいろいろ迷ったり足掻いたりを繰り返している人が多いと思います。「不惑」と言われる40代でもまだ惑うのは、頑張って底力を振り絞れば、軌道修正もやり直しも可能な年代だから。
無我夢中で一山か二山越した後で、自分の器や限界も知り、次第に集中力や体力がだんだん落ちてきて、残りの時間でやれることが見えてくる。それが中年後期の50代くらいではないでしょうか。あれもこれもと欲張る時代を過ぎて、「このことはもう気にしない」「これには手を出さない」と削いでいく時代に入っていくのです。
その分、「これ」と決めたことの中に深く深く沈潜したり、そこで思い切ったことをやってみたくなります。たとえば画家でも陶芸家でも、50歳を過ぎてから真の意味で「自由」になり、囚われを捨てて新しい世界を目指す人がよくいます。迷ったり足掻いたり振り絞ったりの蓄積があって訪れる「自由闊達」。たとえ表現者ではなくても、そんな境地に近づいていく年代だと思うと、少し先が楽しみになります。