自分という他者、ゴミ屋敷の主となった母――私たちは“身近な他人”とどう付き合うべきか
■『他者という病』(中村うさぎ、新潮社)
『他者という病』は、中村うさぎが原因不明の病を患い、心肺停止から蘇生した後のドキュメントエッセイ。夫に頼りきりの車いす生活、治療の副作用からくる肥満や精神不安定、ずっと自分を意識し続けてきた従姉妹の自殺、長く続いた仕事との不本意な別れ――。死に直面してなお、「他者」を意識し続ける著者の、激動の日々がつづられている。
本作が今までのエッセイと異なるのは、中村氏本人が、各回のエッセイを振り返って思うことを、あらためてつづっている点。治療の副作用で本来より攻撃力が増し、自意識のストッパーが機能しない状態で書かれたという連載部分に、精神的に安定しつつある今の中村氏が、軽くツッコミを入れたり、時に本編以上の熱量を持って熱く語り、まったく違った結論を見せたりもする。
中村氏特有の正直さは、「生死」にまつわる理不尽さや、他人の無理解ぶりもスルーできない。「自殺した従姉妹の分も生きる」と誓ったエッセイと、その後に自殺未遂を図ってしまったいきさつ、どちらの衝動も収められた本作には、人間の弱さや矛盾が重苦しいほどに詰まっている。誰もが避けて通れない「生死」に真正面から向き合った彼女の、脳内の往復書簡のような雰囲気をたたえた作品になっている。
■『母は汚屋敷住人』(高嶋あがさ、実業之日本社)
最後に紹介するのは、“汚屋敷”に住む母親との壮絶な格闘の日々を振り返ったコミックエッセイ『母は汚屋敷住人』。
生活費節約のために、1人で暮らす母の住む一軒家に同居することにした著者。しかし越してみると、母の住む家は、ゴミにしか見えない不要な物であふれ、害虫・害獣がはびこる、近所でも問題のゴミ屋敷になっていた。
「親の家の片付け」は、中年世代以上の多くの人が直面するテーマではある。しかし、高嶋氏の母親は物を捨てることに強迫的な不安を感じ「ゴミ屋敷」をつくってしまう、海外研究では「Hoarder」と呼ばれるタイプで、一般的な「実家の片付け」とは一線を画するものだ。
原形をとどめていない服でも「まだ使う」と言い張る。娘がゴミを捨てると激怒して罵倒し、すぐ倍の量のゴミを持ち帰ってきてしまう――。専門書を読み漁りながら、母親と2年間真正面から向き合ってきた著者の戦いは、淡々と描写されているからこそ、1人では太刀打ちできないほど、精神的に消耗するづらいやり取りであることが伝わってくる。
離婚して離れて暮らしていた父と弟のサポートも入り、汚屋敷もある程度は片付くが、著者は自分の生活と精神の安定を優先するために、再び家を離れることを決意する。それは、100%すっきりするような終わりではまったくくなく、これから何年も続くであろう、母親と家族の攻防を予感させるものだ。
地域の条例を守りながら、母親に気付かれないようゴミを捨てる方法、持ち運べない大きな家具を速やかに出すコツや実際の費用など、「汚屋敷」を普通の家に戻すための具体的な対処法もわかりやすく描かれているが、何より、「まったく話が通じない、それでも関わることをやめられない相手」と根気よく向き合うための、メンタルの保ち方を考えさせられる1冊だ。
(保田夏子)