お勉強頑張ってきた系ママの“はっちゃけ”が詰まった、『福田萌のママ1年生。』
巻末にある夫婦対談でも、中田は「大前提として、何事においても僕は萌に全幅の信頼をおいている」としながら、「(母に徹する私は、女性として魅力ある? という福田の質問に対し)これはね、萌自身のいら立ちなんだよ。母として自分を律しなきゃいけない気持ちと、女性として輝きたい気持ちがアンビバレントにぶつかり合い続けてる。僕がどう思ってるかなんて実は関係なくて、萌自身の葛藤、相剋する気持ちが、この質問の背景にあるんじゃないかな」と、妻の心の内を見透かし導こうとする夫。その理論的で鋭い指摘にうっとりと頷く妻。予備校の「難関クラス」で、狂気的な指導をする講師と、洗脳されて開眼する女子生徒の構図によく似ている。
受験勉強の呪いなのか、結婚というフィールドでも自分を指導してくれる良き教師を無意識のうちに探してしまうお勉強系女子。対談中の「アツヒコさんの高い理想に近づけるために、私も頑張ったもんなぁ。私のそのやる気をかって、結婚してくれたんでしょ(笑)」という言葉にも、“頑張って(結婚という)試験をパスした私”を見てとれます。こういう“素直な生徒”を見つけるアツヒコさんの選球眼に恐怖を感じつつ、「夫と私は先生と生徒」度は満点★10!!
■「普通」であっても「知る人ぞ知る」ではないグッズ紹介
芸人の妻たるもの“面白いことを書かねば……”という圧力があるのか、本書には全編にわたり小さなスベりポイントが見受けられます。「今日は、お風呂の栓を抜いたままお風呂を溜めてしまたし、サザエさん並みのおっちょこちょいな毎日」「(子どもを寝かしつけるために)森本レオさんVOICEの練習をしています」「(映画『アナと雪の女王』の歌にかけて)目指せ『ありのママ!』」など、読む人を真顔にする福田萌的爆笑エピソード。
そんな空回りは、ママタレ育児本お約束のグッズ紹介にも表れています。オーガニックコットンのおくるみや外国製のおもちゃ、祖母や母から受け継いだひな人形といった「育児グッズ紹介」はママタレの自意識を爆発させる最良の場所。しかしアップリカのバスチェア、コンビのおしりふき、シャチハタのおなまえスタンプ……福田が紹介するグッズの、「赤ちゃん本舗」感たるや。オシャレでもない、厳選でもない、最寄のショッピングモールですぐ買える手軽さ。しかしここはスーパーのチラシではなくママタレ本です。面白エピソードも育児グッズも教科書通りに進めながら、絶妙に的を外しているこの感じ。そこにお勉強ではセンスを身に付けられないんだなと深く思い知るのです。育児ネタおスベリ度は★8つ。
■ママというプレッシャーを感じすぎ
誰かの命を預かり、育て、社会に送り出すことはもちろん簡単なことではありません。しかし「ママである」こと自体に意識が集中し過ぎると、どんな子育てエピソードでも「ショートコント~、私はママ」風に見えてしまう悲しい事実を本書は教えてくれます。例えば、「仕事柄、友だちづきあいには慎重になっていたのですが、今では“近所のママは全員友だち”みたいな気持ちです」という一文。近所のママは全員友だち……世のママたちの「そんなやつおらへんで~」が聞こえてきそう。
さらに興味深いのは「ママのホンネ ママは社会的弱者だと知った厳しい現実」というコラム。「いいことが多い託児所ですが、ひとつだけ難点を言えば、料金が高いこと!」という書き出しから、「ママになって、世知辛い世の中の現実を突きつけられたり、自分が社会的弱者の側にいると感じることが多くなりました」と「ママは社会的弱者」論を展開させます。しかし福田自身が実際に直面した「厳しい現実」のエピソードではなく、ただ「保育園問題」「ベビーカー問題」「公共の場での子連れの居心地の悪さ」など漠然とした“子育てあるある”を並べ、「もし、子ども連れでいる時に突然誰かに怒鳴られたら。私ひとりだったら立ち向かっていたかもしれないけれど、今は小さい子どもを抱えている。何か起こった時に子どもに危害がないように、『ごめんなさい』『すみません』と小さくなって謝る自分の姿が浮かびます」「ママになってから、どこか毎日びくびく、ドキドキしながら生きている」と若干被害妄想気味に語るのです。
実際にママが社会的弱者か否かはさておき、このような実体の伴わない論をあえて語ることの背景には、「ママになったらこういうことをしなきゃ、書かなきゃ、考えなきゃ」という世間の風潮にいとも簡単に飲まれるお勉強頑張ってきた系女子の悲しい性があるような気がしてなりません。よってママを意識しすぎ度は★9つ。
あまりに漠然とした「ママ意識」にとらわれると、当事者としての母親の感覚から離れていってしまう。本書の空虚さは「ママ」を主語に語ろうとする全てのメディアへの警鐘ではないでしょうか。良くも悪くも福田の「普通さ」が、我々がママタレ育児本に求める毒っ気をあぶり出したように思います。ママタレをママタレたらしめるのは、「ママである」ことではなく「タレント」であることなのです。お勉強では越えられないこの「タレント」の壁をまざまざと見せつけられたのでした。