“非リア充”ホラン千秋と“リア充”田中みな実、2人の女に感じた同じ穴のムジナ
2人はかつて同番組の「トリオ・ザ・青学女」の回で共演しているが、「学園祭に足を踏み入れたことすらない」というホランと、「準ミス青山に輝くなど、大学生活をエンジョイしていた」という田中は真逆の学生時代を送っていたように思う。
性質も、ホランと田中は違う。田中は他人に興味がないし、人の話も聞いていない。その特徴が如実に表れていたのが、『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)だった。田中は、番組で共演して以来の付き合いであるお笑い芸人・大久保佳代子と食事に行くのだが、大久保が酒を飲んでいる最中、田中はおもむろに店員を呼んで、デザートの苺を頼んだのだ。(何がいけないの? と思う若い世代のために解説すると、先輩が酒を飲んでいる最中に、デザートを頼むのは、早く食事を終えたいという意味にとられる可能性があるので、失礼に当たる)。大久保は、「(田中が嫌われるのは)そういうとこじゃない?」と指摘するが、「そういうところだと思います」と認めつつも、気にしている様子は感じられない。人の話を聞いていないから、注意されてもダメージがないのだろう。
このように田中は、他人をイラつかせるのがうまいが、もっとすごいのは、相手の怒った顔を見ても、まったく怯まないところである。話は前後するが、「トリオ・ザ・青学女」の回で、大学時代の恋愛について尋ねられた田中は「そういうのは話したくない」と答えを濁し、SHELLYは「田中さんって、アイドルなんですか?」と眉間に筋を立てて怒っていたが、まったく動じていなかった。田中の振る舞いから考えると、リア充とは、人の話を聞かない、他人の顔色を見ない才能に長けた人だといえるのではないだろうか。
リア充アピールする人は、一般的には自意識過剰と言われ、非リア充アピールする人は客観性に優れた常識人のように捉えられることがあるが、私はそうは思わない。根っこの部分は一緒で、両者とも「目立ちたい」のだ。「目立ちたいから、そのほかのことは気にしない」のがリア充で、「目立ちたいけど、人の話をじっくり聞いてしまうため、人がどう思っているかいろいろ気にしてしまって、目立てない」のが、非リア充。他人の顔色をうかがう分、非リア充の方が、自意識過剰なのである。
毒舌やかみつきはバラエティで重宝されるが、実は塩梅が難しい。かみつきが弱ければ仕事にならないし、強すぎると自己愛が出すぎて「結局、この人、自分を正当化したいだけ」と視聴者から反感を買いかねない。元女子アナ志望(キー局全滅)、せっかくつかんだ『NEWS ZERO』のキャスターも1年で降板と、ホランは田中と同じ方向を目指し、挫折を経験している。そういう意味で、ホランと田中は私には同じ種類の人間に見える。リア充への同族嫌悪、もしくは嫉妬から生まれる毒舌はワンパターンに陥りがちなので、飽きられるのも早いように感じるが、ホランの賭けが吉と出るか凶と出るか、今後を見守りたい。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。
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