『Dr.倫太郎』、「攻め」の演技をやめて「受け」に徹する堺雅人に期待すること
日本テレビ系で水曜午後10時から放送されている『Dr.倫太郎』は、堺雅人が演じる精神科医・日野倫太郎の物語だ。倫太郎は著作を持ち、テレビにも出演する人気精神科医。彼の元には、さまざまな心に病を抱えた患者が訪れる。ドラマでは毎回、倫太郎が患者と向き合う姿が描かれると同時に、解離性同一性障害を抱えた売れっ子芸者・夢乃(蒼井優)にひかれていく倫太郎の姿が描かれる。
メイン脚本家は『やまとなでしこ』(フジテレビ系)、『ハケンの品格』(日本テレビ系)、『ドクターX~外科医・大門未知子~』(テレビ朝日系)、『花子とアン』(NHK)など、数々のヒット作を手掛けた中園ミホ。チーフ演出は、『Mother』『Woman』などの作品でリアリスティックな映像と、生々しい芝居を演出してみせた日本テレビの水田伸生。
自閉症スペクトラム、演技性パーソナリティ障害、ギャンブル依存症、解離性同一性障害といった心の病を、泣けるドラマの素材としてうまく料理する中園の手腕は、あざといと思うものの、映像や役者の演技がしっかりしているので、見応えのあるものとなっている。同時に“しっかり”しているからこそ、見ていて気まずく感じられる。
本作には、倫太郎にカウンセリングを受ける、石橋蓮司演じる大物政治家や、高畑淳子が演じるギャンブルの借金返済を娘に肩代わりさせる毒母を筆頭に、心に病を抱えた患者が次から次に登場する。病を抱えた患者を俳優陣が熱演していることは画面を通して伝わってくるのだが、病気の人間を演じることに入れ込む姿に、なんだか見てはいけないものを見ているような気持ちにさせられてしまう。
彼らの芝居は、フィクションの演技としてうまいというよりは、自分たちの身近にいて駅ですれ違ったり、同じアパートの隣の部屋に住んでいて、突然、奇声を上げたり怒りだしたりする人たちの表情や仕草を形態模写しているかのようだ。そのため、病気の患者を面白おかしい見世物として描くような医療ドラマが内包している暗黒面が浮き彫りになっている。おそらく、ホラー映画を見るような怖いもの見たさで楽しんでいる人も多いのではないかと思う。
「恋愛とは一過性の精神疾患のような状態です」という警句が劇中で繰り返され、医者と患者の関係が恋愛に置き換えられているのが本作の面白さだが、ここで言う「恋愛」と役者にとっての「演技」は、ほとんど同じものなのだろう。