「必要とされる私」の関係妄想――ペット命な中年女性の心に潜む“望み”とは
2つ目は、独り言を黙って聞いてくれるところ。
人は、歳を取ると独り言が多くなります。家族がいても、どうでもいい話を聞いてくれるような暇なメンバーはいませんし、一人暮らしなら尚更です。その点、ペットはいくらでも聞いてくれる……という錯覚に浸ることができます。だから、餌をあげたり散歩に行く時はもちろん、何でもないこともペット相手にしゃべります。「そろそろ御飯の支度しなくちゃね」「あ、この番組録画しておこうかな」「お風呂入ってくるから待っててね」。小首を傾げるくらいで、「いちいちうるせえな」と口答えしないところがいいですね。
こんなことを書いていると、「おばさんキモい」と言われそうですが、人間が犬や猫を飼うこと自体、彼らとの「関係妄想」を生きることなのです。「私だけを頼っているこいつ/頼られてる私」という文字通りの関係だけでなく、飼い主の頭の中で時には甘えん坊の子どもに、時には独り言を聞いてくれる友人に、時にはちょっと冷たい恋人(猫の場合)にもなるペット。彼らは、半世紀を生きて人生や人間関係に少し疲れた中年女性を、無言のうちに癒やしてくれます。
3つめは、「生きること」について教えてくれるところ。
繁殖ということを除くと、犬や猫に生きる目的はありません。人間のように将来こうなりたい、ああなりたいという欲望もありません。彼らにとっては、生きることそれ自体が目的です。毎日御飯を食べ、遊び、寝て、その生を燃焼し尽くして死んでいく。実にシンプルです。
将来ああなりたい、こうなりたいと思いながら生きてきて、全然理想には届いてないなぁ、こんなはずじゃなかったなぁとの思いもなくはなかったおばさんは、ただ生きることに全エネルギーをかけているペットたちから、日々多くのことを教わっているのです。
大野左紀子(おおの・さきこ)
1959年生まれ。東京藝術大学美術学部彫刻家卒業。2002年までアーティスト活動を行う。現在は名古屋芸術大学、京都造形芸術大学非常勤講師。著書に『アーティスト症候群』(明治書院)『「女」が邪魔をする』(光文社)など。共著に『ラッセンとは何だったのか?』(フィルムアート社)『高学歴女子の貧困』(光文社新書)など。
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