『山田孝之の東京都北区赤羽』、ドキュメンタリードラマでも晴れない山田の“不気味さ”
イケメン俳優のことを調べていると、20代後半から30代にかけて一度崩れることが多いことに気づかされる。ある人は奇抜なキャラクターを演じるようになり、ある人は映画監督を志し、ある人は小説家を目指す。あるいは突然結婚したり、単館系のマイナー映画や舞台に活動の中心場所を移していく俳優も多い。
おそらく、その象徴といえるのが小栗旬と山田孝之だろう。
小栗旬は20代後半の迷走を経て『リッチマン、プアウーマン』(フジテレビ系)で、イケメン俳優としての出自を受け入れ、次のステージへと移行したが、対して山田孝之は、『六番目の小夜子』や『ちゅらさん』(ともにNHK)で見せた美少年のイメージから突然脱却し、今では『闇金ウシジマくん』(TBS系)の丑嶋社長のような強面の男も演じるようになった。その変化は昔の山田を知っている程ショックだが、脱イケメン俳優という移行自体は成功したように見えた。
だが、それと引き換えに独特の不気味さというか、人として大切なものをどこかに置いてきたような、得体の知れない違和感が常に付きまとっていた。とはいえ、その違和感は、役者としての山田にとってはプラスに働いていたと言える。しかし、人間・山田孝之にとってはどうだったのか?
ずっと感じていた山田に対する違和感、それ自体がモチーフとなっていたのが金曜深夜枠で放送されていた『山田孝之の東京都北区赤羽』(テレビ東京)である。ドラマは山下敦弘監督の『己斬り』という映画の撮影場面から始まる。
主人公の侍を演じていた山田は、自害する場面で、偽物の刀では死ねないから真剣を持ってきてくれと言い出し、最終的に芝居を中断。やがて、映画は撮影中止となる。後日、山田は、山下を事務所に呼びだし、赤羽に移住するので、その姿をドキュメンタリーとして撮影してほしいと頼む。山田は、今までの自分は、自分らしく生きないように生きてきた。自分の軸を作らないことで、いろんな役を演じてきたが、その結果、役と自分の境界がわからなくなって、役を切り離すことができなくなった、と語る。
そして、清野とおるのマンガ『ウヒョッ!東京都北区赤羽』(双葉社)を読んで、ここには人間らしい暮らしをしている人がいる。ここに行けば「自分の軸を作る」ことができるのではないかと思い立つ。山下は山田を撮影するために赤羽に同行。赤羽に住む少しおかしな人々と関わるようになる。
監督の山下敦弘は、本作を「連続ドキュメンタリードラマ」と提唱している。そのため、どこまでが嘘で、どこまでが本当かわからない作りとなっている。おそらく『己斬り』という映画の企画自体はフェイクなのだろう。しかし、赤羽の住人は実在の人物だし、演技指導の類は一切していないのだろうと思う。そして、山田が抱える苦悩も本当だろう。