“HARAJUKU”はデコラで時が止まっている――再び原宿が息を吹き返すために必要なこと
――原宿はこれまで若者ファッションが生まれる場所、個性的なファッションの人が集う場所というイメージがありましたが、今後、原宿という言葉の意味が変わることはあるでしょうか?
青木 僕は変わらないと思います。原宿で長くお店を営んでいる人たちも「このままじゃダメだよね」といつも危機感を抱いていて、一時期、代官山にお店を移す流れもあったんです。しかし、結局代官山は代官山なので、原宿はここ以外にはないという結論に至った。だから大丈夫だと思います。パンケーキやポップコーンなど、スイーツの街にはなりません。
渡辺明日香氏
渡辺 原宿は「上陸第1号」といったお店が多く、新しい試みをまず原宿で行って反応を見る、チャレンジするという土壌は続いていくと思います。もしかしたら、それがファッションではない別のものになるかもしれませんが……。
――青木さんは「原宿ファッションには、いい時期と悪い時期の波がある」とおっしゃっていましたが、いい波を起こすためには何が必要ですか?
青木 そうですね。雑誌を作っていてなんですが、今その役割を果たせるのは雑誌ではないでしょうね。僕がずっと主張しているのは、表参道のホコ天をもう1回復活させたいということ。原宿ファッションがおとなしくなったのも、本はといえば、98年にホコ天がなくなったことが原因だと考えています。ただ歩いてたまっているだけなんですが、それがあたかもリアルなSNSのようになっていました。いま日本の政府が重視している「カワイイ」や「ファッション文化」は、ホコ天がなければ生まれてなかったはずです。その源泉を閉じてしまったということは政府関係者は知らないと思いますが、それを知ってもらわなきゃいけない。
渡辺 ゆっくりほかの子たちの装いを見る余裕がないということは、私も思います。90年代に比べて、原宿に人が増えすぎたんでしょうね。とがってる人も埋もれて見えなくなっています。見てもらえなければ、おしゃれもつまらなくなってしまう。ホコ天はランウェイ。おしゃれしている子は真ん中を堂々と歩き、それを写真に撮って海外に広めることもできます。思いきって一帯を芝生にして公園にするなど、原宿全体がゆったり滞在できる場所になればいいのでは。
青木 そうですね。ホコ天が復活したら、すごいことになるでしょうね。SNSがプラスに働いて、アジアファッションのハブになるかもしれません。
(構成=安楽由紀子、撮影=東京フォト工芸・清水真帆呂)
青木正一(あおき・しょういち)
1955年生まれ。東京都出身。85年にスナップ誌の先駆けである雑誌「STREET」を発行。97年には“原宿フリースタイル”をコンセプトにした「FRUiTS」を発行し、国内外から注目を集める。「TUNE」「.RUBY」を含む4誌の編集長と、発行元レンズ株式会社代表取締役を兼任。
渡辺明日香(わたなべ・あすか)
1972年生まれ。栃木県出身。共立女子短期大学生活科学科准教授。ストリートファッションの定点観測に基づく若者文化、および色彩、生活デザインの研究を行う。著書に『ストリートファッション論』(産業能率大学出版部)など。