男社会のヒップホップ界で、性を前面に出す“小悪魔ビッチ”を確立させたリル・キム
ラッパーとしても活躍を続け、多くのアーティストにフィーチャリングされるなどひっぱりだこ。2000年にリリースしたセカンドアルバム『ノトーリアス・キム』、03年にリリースしたサードアルバム『ラ・ベラ・マフィア』も好調な売り上げを記録。CandiesやIce Bergジーンズ、Old Navyなどのブランドイメージガールに抜擢され、ファッションアイコンとしても人気を得た。クロージングライン「Hollyhood」を立ち上げ、サイドビジネスも好調。有名クラブに顔を出すだけで100万円前後のギャラをもらい、女優の仕事もオファーされた。01年にはミッシーがプロデュースした楽曲「Lady Marmalade」でクリスティーナ・アギレラ、ピンク、マイアとコラボ。女性ラッパーの活動リミットを押し上げていった。
しかし01年、ニューヨークのヒップホップ・R&B専門ラジオ局「HOT97」の外で、キムの取り巻きとラッパーのカポーン・アンド・ノリエガによる銃撃戦が勃発。負傷者を出したこの事件での裁判で、キムが仲間に有利になるウソの証言をしたことが露呈し、05年には偽証罪と共謀罪で有罪判決を受け、禁錮366日の刑に処された。この裁判の前から、キムのボテッとした鼻がスラッと細くなったり、目や唇の形も変化するように。刑務所に入る日はスッピンに黒髪と地味な格好でいたが、出所後は、さらに美容整形を重ね、もはや原形をとどめない顔になってしまい、07年を境にゲテモノ扱いされるようになってしまった。
[成功への道]
05年9月に4枚目のアルバム『The Naked Truth』をリリースし、06年3月には刑務所に入る直前に撮影したリアリティ番組をオンエアするなど、服役中も話題を振りまいてきたキムは、06年7月に釈放された。その後はオーディション番組の審査員を務めたり、セレブダンス番組に出場するなど精力的に活動を再開した。出所直後から、話し合いを始めたアトランティック・レコードからの独立は、08年に実現。ミックステープ『Ms.G.O.A.T.』をリリースしたものの結果はイマイチ。しかし評論家からは高く評価され、クイーン・ビーはまだまだ健在だと世に知らしめた。
10年になるとアルバム『Pink Friday』で大ブレイクした女性ラッパーのニッキー・ミナージュのことを、「アタシの二番煎じ」だと目の敵にし、11年に当てつけのようにミックステープ『Black Friday』をリリース。現在に至るまで、ニッキーとはビーフ関係にあり、ディスり合ってはゴシップサイトで大々的に報じられている。
男運は相変わらずイマイチで、03年前後に交際していたダミオン・ハーディはひどいDV男で、キムは顔が膨れ上がるまで殴られER(救急救命室)に運ばれたことも。ダミオンはその後、6人を殺害した罪で極刑を受けたが、統合失調症だと診断され、現在は刑務所の精神病棟施設に入っている。04年にはプロデューサーのスコット・シュトルヒと、07年にはR&B歌手のレイ・Jと交際したが、短期間で破局。12年からは若手ラッパーのペイパーとくっついたり離れたりを繰り返し、14年6月には第一子に当たる女児を出産した。ペイパーは自分が父親だと主張しているが、キムはシングルマザーで育てる気まんまん。「女王君臨」という意味のロイヤル・レインと名づけ、大勢のセレブたちから祝福されている。
ゴーストライターから訴えられたり、美容整形を重ねた顔が崩れかけていると叩かれたり、妊娠中はおなかだけでなく顔もパンパンに膨れ上がり、この世のものとは思えないとゴシップ誌に面白おかしく書きまくられているキムだが、本人は華麗にスルー。前科がついたものの、仲間をかばった罪であることからハクが付く形になり、ストリートギャングからもリスペクトされるなど、ラップ・ファンからは唯一無二の存在として崇められている。
インスタグラムに定期的にビギーの写真を投稿するなど、今なおビギーを愛し尊敬し続けるキム。これからもブラック・ディーヴァとして伝説を残し続けることだろう。