石田衣良『いれない』が教えてくれる、挿入のないセックスが男女を強く結びつける理由
■今回の官能小説
『いれない』(石田衣良、『エロスの記憶』より)
挿入することだけがセックスではない。それ以外にも、快楽を得る方法は無数にあるし、挿入での快楽にこだわりすぎると、体位などに気を取られたりして、かえって快楽から遠のいてしまうこともある。恋人同士のセックスであれば、挿入以上に、愛撫されることで女性は感じることも多いだろう。セックスという行為そのものに囚われてはいけない。セックスを「しない」ことを選択することによって、心を強くつなぐことができることも、また大きな視野で捉えると、「セックスの魅力」と言えるのかもしれない。
今回ご紹介する『エロスの記憶』(文藝春秋)は、9作の短編が収録されているアンソロジーだ。小池真理子、桐野夏生、村山由佳などの第一線で活躍している9人の作家が名を連ねている。収録作品全てに共通しているのが、セックス以外の方法で感じ合う男女たちの物語だ。
その中の一作である石田衣良の『いれない』は、実にシンプルな方法で、読者に“セックス”という行為を考えさせる内容になっている。
この物語には、主人公の既婚者・直哉とフリーターの弥生の不思議な恋人関係が描かれている。外注先でアルバイトをしている弥生と、ひょんなことからデートをすることになった直哉。酒を交わしながら食事をして店を出たとき、ふとキスをしてしまう。艶のある弥生の唇の感触に直哉は興味を持ち、2人は付き合うことになる。
しかしこの交際は、「弥生の提示した契約」に沿うという一風変わっていたものだった。それは「いれない」、つまり挿入しないこと。それ以外であれば、直哉は弥生を自由にできる。
2人の奇妙な関係は2年続いた。「いれない」という前提のデートには、あらゆる可能性がある。下着をつけない弥生を美術館に連れて行き、名画の前で尻を揉む。深夜のオフィス街や、人気のない映画館……直哉はあらゆる場で弥生と「いれない」行為を楽しんだ。
しかし、ある日直哉は、別の男性との結婚を決めた弥生から、再びある提案をされる。「いれる」セックスをして永遠に会わないか、弥生が結婚しても今の関係を続けるか、どちらかの選択を迫ったのだ。果たして直哉はどちらを選ぶのか――。
街中で人目を憚りながら行う直哉たちの「いれない」セックスは、ぞくぞくするほどいやらしい。2年もそんな行為を続け、秘密を共有することで共犯者としての絆も深まり、裸で抱き合う以上に愛情を抱いてしまうかもしれない。しかし、だからこそ既婚者の直哉にとっては危険だ。体が結ばれない代わりに、心が強く結ばれてしまったのだから。
そもそも弥生にとってこの「いれない」契約は、直哉との関係にはまらない唯一の手段だったはず。けれど彼女も直哉と同じように、挿入、射精という最後まで至らないセックスに、“永遠に進行中”というもどかしい思いを抱いてしまったのではないだろうか。
「男の体を受け入れる」という、シンプルで神秘的な行為。普段なにも考えずにセックスをしているときには感じないが、男の体の一部を自分の体内に取り込むという行為は、一見グロテスクな行為なのかもしれないと、あらためて感じてしまった。そこに愛がなければ、受け入れることなどできない、とも。セックスとは何て愛おしく切ない行為なのだろう。
(いしいのりえ)