『セカンド・ラブ』で“カッコよさの塊”を演じる亀梨和也が抱える、俳優としての課題
■「カッコいい」役を亀梨が演じるために必要なこと
役者としての亀梨和也が大きく注目されたのは『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)だろう。亀梨が演じたのは、イケメン高校生の桐谷修二。修二は空気を読むのがうまいクラスの人気者だが、「この世の全てはゲームだ」という虚無感を抱えており、普段は偽りの自分を演じているという難しい役どころだった。この役は人気アイドルの亀梨が演じたからこそ、説得力のあるものとなったと言える。
しかし、『野ブタ。』以降は『妖怪人間ベム』(同)までヒット作に恵まれていない。この2作は奇しくも河野英裕のプロデュース作品だが、亀梨のカッコよさに対する理由付けが、ドラマの設定によってうまく処理されていた。
つまり、『野ブタ。』なら、修二のカッコよさは本人によって自己演出されたもので、『妖怪人間ベム』なら、異形の怪物だからカッコいいという、一応の理由が与えられていたのだ。亀梨は出演するドラマの中で、「イケメン」とか「美形」と、わざわざ言われる場面が多い。しかし、コメディ等の例外を除けば、ドラマや映画に出演する俳優なんて美男美女ばかりだ。美男美女が普通の人々を演じるということは、テレビドラマが根源的に抱え込んでいる矛盾だが、それが問題とされることはほとんどない。
しかし、亀梨のカッコよさだけは、違和感となってドラマとぶつかってしまうため、彼には普通の人を演じることができない。唯一、「カッコいい俺とは何なのか?」というテーマがある時だけ、亀梨のドラマは説得力を持つ。
なぜ、亀梨だけに「カッコいい俺」というテーマが浮上してしまうのかは、よくわからない。しかし、ひとつ言えることは亀梨が「カッコいい俺」という険しい茨道を、あえて歩み続けているということだ。そうでなければ、慶のようなカッコよさの塊みたいな男を演じられるはずがない。
『セカンド・ラブ』の第3話で、慶が、バイト先で職場のおじさんたちの前で、コンテンポラリーダンスを披露する場面がある。正直、ダンスの良し悪しの基準がわからない立場からすると、哀しいピアノの旋律とスローモーションの映像で見せるダンスシーンは、亀梨のカッコよさは伝わるのだが、どう理解していいのかわからないポカーンとする場面だ。
ダンスを見たおじさんたちが呟く「よくわかんねぇけど、ありがてぇ感じしたなぁ」というのは、このドラマと今の亀梨を見ている視聴者の気持ちを最も強くあらわしている。
(成馬零一)