父親へのわだかまり、母親への「ごめんね」――団塊オトコが“子ども”になる介護
認知症で施設に暮らす母・みつえさんのもとに通い続ける日々を描いたコミックエッセイ『ペコロスの母に会いに行く』(西日本新聞社)『ペコロスの母の玉手箱』(朝日新聞出版、現在週刊朝日で連載中)の著者・岡野雄一さんと、母親が亡くなり、一人暮らしになった父親を世話するために実家に“単身赴任”した日々を綴った『俺に似たひと』(医学書院)の著書で実業家・平川克美さん。ともに1950年生まれの団塊オトコの2人が、『団塊オトコの介護術』をテーマに生きること、老いること、死ぬことについて語り合った。
『ペコロスの母に会いに行く』の続編となる『ペコロスの母の玉手箱』は、みつえさんが亡くなるまでの最後の15カ月を描いている。認知症の状態はさらに悪化し、息子の顔も忘れ、会話もほとんどなくなっていくが、それと反比例するように岡野さんの想像力は自由に広がっていった。ほのぼのとしたタッチは変わらないが、どこか崇高な気配さえ感じられ胸を打たれた。みつえさんが亡くなって5カ月となる今、岡野さんからどんな心情が語られるのだろうか。
平川さんは、一人暮らしとなった父親の介護を決意したときのことを、「山に登るように、荷物をまとめて家を出た」と、その覚悟を表現する。団塊オトコの例に漏れず、若い頃から父親に反発し、疎遠になっていたという父親だ。いつか介護が来るだろうと予想はしつつも、「あの父だから鬱陶しかった」と。それでも「気合を入れて介護をし始めると、非日常が楽しかった」と打ち明ける。炊事、洗濯、それに下の世話。それが「非日常」だと言い切れるのは「オトコの介護」そのものだ。女なら、炊事洗濯は絶対に逃れられない日常だ。とはいえ、平川さんもすぐに「日常になった」のだが。
対談中、あたかも解説者のように、介護について客観的な立場を取っていた平川さんだったが、亡くなった母親のことは「今でも見守ってくれている気がする」と普通の子どものような発言になった。迷ったり、判断しなければならなかったりすると「母さん、これでいいの?」と聞いているという。何事も理詰めで考える団塊オトコでも、母親は亡くなってからも判断基準としてそこにいるのだと感慨深かった。亡くなったからこそ、一層深まる母親への思いは、私を含め多くの子どもと共通するだろうと思えた。
一方、みつえさんを見送ってまだ5カ月の岡野さんは、今もみつえさんが近くにいるのを感じるという。そして漫画の中でも、ほとんどコミュニケーションの取れなくなっているみつえさんに、「ごめんね、母ちゃん」と謝っているという。これにも深く共感した。「ありがとう」がはやりの昨今だが、亡くなった母親にはやはり「ごめんね」がしっくりくる。昭和の感覚なのかもしれないが、ずっと謝りながら老いていくのかな、と思う。