『ごめんね青春!』“悪人”を拒絶し居心地のよさに回収されるクドカンドラマの弱点
祐子の妹で教師の蜂矢りさ(満島ひかり)は、そんな平助に乱暴に怒鳴られたことがきっかけで恋心を抱くようになる。平助の二面性に惚れる蜂矢先生を見ていると、クドカンは錦戸の魅力がわかっているなぁと、感心する。物語終盤、平助はノンフィクションライターとして学校に戻ってきた祐子と再会する。放火事件をきっかけに学校を辞めて町から去った祐子は、平助のトラウマを最も象徴する存在だ。彼女の帰還は、今まであった居心地のいいドラマ空間を破壊してしまうのではないか、という緊張感を作品にもたらした。
■悪人を描けないクドカンの課題
最終話。文化祭が成功して全員が喜ぶ中、平助は、自分が放火犯だったことを礼拝堂で告白し、教師を辞職すると懺悔する。生徒たちも、りさも祐子も、そんな平助を許す。そして、サトシが連れてきた刑事が、ロケット花火が礼拝堂の窓に入る確率は0.001%で、10万本に1本であると話す。平助が放った花火は20本にすぎないため、限りなく0%だと刑事が証言したことで、平助の放火容疑はうやむやになる。その後、平助は高校を辞めて、りさと婚約。最後に生徒たちの卒業式に学生服で現れて卒業証書をもらい、自分を縛っていた青春から卒業してドラマは終わる。
本作の落としどころとして、「ごめんね」という言葉に宗教的な赦しを重ねたのは妥当だろう。しかし、仮に悪意はなかったにしても、自分の人生を狂わせた平助を、蜂矢家の家族はそう簡単に許せるのだろうか? という違和感は残る。中でも、一番傷ついたはずの祐子の内面への踏み込みはあまりにも浅く、説得力がない。
宮藤は悪役を描かない。心の弱さから人を傷つける人はいても、根っからの悪人はいないという性善説が根底にあり、最終的には全ての登場人物が仲良くなって終わることが多い。しかし、悪人を“自分とは違う価値観の他者”だと考えると、本来、劇中で主人公と対立する人間自体を巧妙に排除して、他者と向き合うこと自体を避けているのではないか、と時々感じる。それこそ、放火犯であることと向き合えずにいた平助のように。
本作で描かれた「赦し」は美しい。しかし「赦せない」という気持ちを拾い上げて向き合うことこそ、本来、ドラマが描くべきことではないだろうか。他者としての女性と向き合おうとした本作が、ずぶずぶの居心地のよさに回収されてしまったのは、意欲作だっただけに残念だ。
(成馬零一)