“100年に1人の逸材”新日本プロレス・棚橋弘至が、マウンティング女子をぶった斬る!!
――リングの上では、誰もがマウントを取りたいと思っているということですね。
棚橋 プロレスこそ、最強のマウンティング社会だと思います。で、面白いのは、マウンティングしたかされたかというのは、自分で判断するものじゃないということ。それは、ファンが決めることなんです。ファンの中で自然とプロレスラーの格付けができあがっているからこそ、ファンがマッチメイクをイメージして遊べるんですね。プロレスは想像力で楽しむ競技ですから。もし女性たちの間で日々マウンティングが行われているとするなら、どんなにマウンティングしてもされても、既に周囲によって格付けは済んでいる可能性もありますよ。「お前はもう格付けされてる……」ってことです。
――ケ、ケンシロウ!!
棚橋 マウンティングを仕掛けても、第三者的視点からはもう格付けは終わっているので、その行為自体が無意味ですよね。もしマウンティングをどうしても無視できないというならば、もう楽しんだ方がいいじゃないですか。こうきたら、こう返すと。女性にも、相手のことを好きか嫌いかを超越したマウンティングを見せてほしいですね。エンターテインメントとしてのマウンティングを。
僕も1月4日にオカダ・カズチカと試合しますけど、IWGP王者の僕は、マウンティングを仕掛けられる立場。この間もTwitterで「棚橋つまんない」ってつぶやかれたんで、初めて非公式RTしてやりましたよ。「勝ってから言えよ」と。マウンティング返ししちゃいましたよ。
――そう考えると、「マウンティングされる面白さ」っていうのも味わい深いです。
棚橋 そうですよ。上を食う面白さ、下を突き放す面白さ。会心の一撃を放ったときに、周囲の格付けが変わる瞬間があるかもしれないし。
――優越感や劣等感からマウンティングを仕掛けるのではなく、自分の持っているものに誇りを持つ。それが人に伝わる。「不意な尿漏れは経産婦の勲章です!」とか。
棚橋 いろいろ暗い過去があるのに、自分のことを「100年に1人の逸材」と呼ぶ。その図々しさですよ! プロレスラーっていうのは大きいことを言えばいいんです。それによって見る人の期待感も上がるし。もちろん逸材と言ってしまったからには、逸材であるために努力しないといけないんですけどね。でもそのことに、プレッシャーは感じません。本気で思ってるんで(笑)。自己暗示にかかりやすいのかもしれない。僕、嫌なことがあると「(顔の前で手をぐるりと一周させて)わ~すれろ(指をパチンと鳴らす)」っていうおまじないをするんです。
――え……。
棚橋 女子でしょ(笑)? でもダメな試合をしてしまったときとか、本当にヘコむんですよ。でも「あぁ……」って落ち込んでる暇があったら、道場いってベンチプレスを1回でもやった方が自分のためになる。この落ち込んでる時間をどれだけ短縮できるかが大事なんです。それにプロレスは年間130試合くらいあるので、今日落ち込んでてもすぐ試合じゃないですか。負けて悔しいという気持ちは、引きずらないけど忘れない。次の試合で悔しさがぶり返すように。だから引きずらないというのは、悔しさを一時しまっておくということなんですね。「反省はするけど後悔はしない」。ほらまた出ましたよ、“逸言”が。
――ではマウンティングされて悔しい思いをしても、それを忘れることなく……
棚橋 次の対戦で、怒りのエネルギーに変えればいいんです。次の女子会で仕掛けてやればいい。もう1回同じ話題を振っておいて、同じ技がきたら……しめたものです。でも女子の間のマウンティングは全然悲愴感ないからいいですよね。ネチネチしてないですもん。