『Red』が描く、不倫愛に陥ったセックスレス妻――彼女に感じる“愛おしさ”の正体とは?
■今回の官能作品
『Red』(島本理生、中央公論新社)
女は年を重ねるたびに、自分の欲望を開放することが難しくなってくる。そのきっかけになるのが出産だ。かつては街を歩けば楽しみばかり転がっていたはずなのに、ひとたび子ども連れになると、身勝手に楽しむわけにはいかない。子どもの手を引き、機嫌を取り、ぐずりだす前に早々と用事を済ませて帰宅する……自由であるはずの外出はいつしか苦痛となっていく。もちろん、子どもを持つ喜びもあるが、子どもの成長を最優先にした生活を続けるうちに、家庭をまるで“牢獄”のように感じてしまう瞬間もあるのではないだろうか。
今回ご紹介する『Red』(中央公論新社)の主人公・塔子は、端から見れば幸せをそのまま形にしたような女性だ。イケメンの夫を持ち、出産を期に会社退職し、3歳の娘・翠と、義理の両親と共に暮らしている。姑は塔子に対して理解があり、平穏無事に暮らしていた。
かつては仕事をすることに生き甲斐を感じていた塔子。その仕事を辞め、育児にシフトし、夫とのセックスも翠を授かったときに失った。妊娠初期に「当分するのはやめるから」と夫に宣告されてから、3年間セックスレスになり、塔子は夫に対してオーラルセックスをすることが習慣化した。
ある日塔子は、女友達の結婚式の場で昔交際していた鞍田と再会する。当時二十歳だった塔子は、鞍田に“性”の全てを教わった。その頃の自分が蘇ったように、塔子は鞍田と激しく抱き合う。10年の空白も感じさせないほどに肉体を欲しがる鞍田の愛撫に、塔子は3年間封じていた欲望を開放させていった。
この再会により、今まで閉じ込めていた自分自身の欲求を再認識してしまった塔子。「妻」として「母」として、必死に自分を押し殺し平穏な日々を守ってきたが、転げ落ちるように鞍田との快楽に溺れてゆく。
色気のなかった唇に紅を差し、不倫関係に陥った塔子を読者はどう見るだろうか。きっと賛否両論だろうが、恋愛は誰かの賛同を得るためにするものでない。性に溺れながら、自分の感情に対して冷静になる塔子を見ていると、恋愛は突き詰めると、己の欲求を満たすための行為であることを実感する。
筆者は、目を背けていた自己の性欲に向き合うようになった塔子を、愛おしく感じてしまう。女は肩書に対して非常に敏感な生き物だ。例えば子どもを持つと「○○ちゃんママ」などのように呼び合い、自分の名を押し殺して母としての自分を生かす。その母の肩書を、社会的地位を保つための鎧と感じている女もいるように思う。けれど塔子は、その鎧を脱ぎ捨て、自分自身と真っ向から対峙し、苦しむことを選んだ。筆者はそこに、どこか逞しささえ感じてしまうのだ。
人は年を取ると、平穏な生活を望むものである。欲求を押し殺して凪のような日々に埋没する人々の中で、貪るようにセックスを楽しむ塔子を滑稽と取るか美しいと取るか。本作は読者に投げかけている。
(いしいのりえ)