鉄オタ女子、「女子」呼称問題……遅れてきた「CLASSY.」の女子の自意識は、やはり男目線
最近の“男の趣味に入れてやったぞ系”でいえば「カープ女子」があるのに、あえての鉄オタ。そもそもモテから遠そうなカルチャー女子を着回し企画に持ってきた「CLASSY.」の胸三寸を測りかねます。ただ1つ言わせていただけるなら……「大好きな京急に乗っていたら考え事しすぎていつの間にか横須賀まで来ちゃった」って、横須賀じゃなくて横須賀中央ですから!! 横須賀と横須賀中央は川崎と新川崎くらい違いますんで!!
■勝手にレッテル貼りして、勝手に憤るというカロリー消費
文化系女子特有の「女子とは問題」から絶妙な距離感を取ってきた「CLASSY.」ですが、今号には珍しく女の自意識に問いかけるページがあります。ズバリ「あなたが結婚できないのは“女子”だから!?」。リードには「いい大人の女性たちの間ですっかり定着、市民権を得ている“女子”という呼称。でも女子会に行きまくり、女子力アップを願って予定をつめこんでいる“女子”ほど幸が薄いという噂も……」とあります。デトックス、オーガニックコスメ、自撮りにアロマに海ヨガにパワスポめぐりに週末女子会……アラサー女が女子力という魔物に憑りつかれた結果、自分の意思とは裏腹にどんどん婚期が遠のいていくことに警鐘を鳴らしています。
妙齢女性が自ら「女子」を名乗ることに対して、精神科医の名越康文氏、カリスマ結婚相談所所長である植草美幸氏、そして男性座談会まで開いてバッサバッサと斬り捨てるこの企画。いつものことですが、座談会は言いたい放題で、
「“女子”って呼ぶの中学までじゃない?」
「女子会もそうだけど、自分のライフスタイルをSNSで発信しまくる女のコの必死さが辛い」
「リア充アピールのために習い事のはしごで予定がギッシリなタイプとかいるよね」
「女性としての向上心が強くて自己投資を惜しまない、必死な“女子”(笑)」
「勝手に占いのアドバイスしてくるのとかも本当勘弁」
と、怒涛の女子叩き。名越氏も「自分たちを平気で“女子”と呼ぶ女性たちは、根底に生きていく上での不安があって、心の拠り所がないので“女子”で集まり、空騒ぎをし、必死に“リア充”を追い求める」、植草氏にいたっては「女性として男性に大切にされた経験がほぼないというのも共通点として挙げられます」……みなさん“女子”に身内でも刺されたのですか……?
これを読むと「CLASSY.」世代の男性、いや社会全体が求めている“女子力”とは、ケガしたらスッと絆創膏を差し出してくれるような、ボタンが取れかかってたら裁縫セットを取り出すような、女子マネジャーのような気遣いだとよくわかります。「結婚相手として女性に望むことは、人として自立していること」とか言いながら、習い事や勉強会で自分を磨けば冷笑するという矛盾。敵が誰か、土俵がどこかもわからぬまま、女たちの女子力闘争は続きます……。
あえて今、「CLASSY.」が女子なるものに牙を剥いてきた理由は何なのか。近年賢い路線に向かいつつある姉妹誌「VERY」(光文社)に追従したいのか。それとも単なる気の迷いか。しかしいくら「女子」という言葉に集約される未熟さや自己愛を否定し自立を促そうとも、そこにモテ志向がある限り「男に都合のいい“女の自立”」に集約されてしまう悲しいさだめ。「CLASSY.」が女子を揶揄することで、「女性の自立」と「結婚」が共存できない様式であることが明らかになるとは、なんたる皮肉でしょうか。
(西澤千央)