精神崩壊しようが太ろうが、自信満々に振る舞う! ブリトニーの図太さにあやかりたい
――自虐、不幸自慢、他人との比較……自分に自信を持てないと落ちてしまうダークサイド。SNSで“あのオンナ”の不幸をチェックして悦に入るだけの日々に、グッバイ・イエスタデイよ! この世を闊歩するためには、自分のことを1ミリも疑わないディーヴァの強さを見習いたい。ディーヴァの爪の垢を煎じて、青汁のごとくにガブ飲みよ~~!
【今回のディーヴァ】
ブリトニー・スピアーズ
■Road to ディーヴァ!
米南部の田舎ルイジアナ州で生まれ育ったブリトニーは、物心ついた頃から歌って踊ることが大好きで、教会の聖歌隊で歌の技術を磨きながら、地元のコンテストに片っ端から出場。。
8歳では「あまりにも小さすぎる」とオーディションで落とされたディズニー・チャンネルの人気子ども番組『The All New Mickey Mouse Club』に、11歳で出演許可が下り、クリスティーナ・アギレラやジャスティン・ティンバーレイクと共に出演。番組終了後はガールズ・ポップグループ「Innosense」に入りつつ、歌手になるためデモテープを作成。このデモが大手ジャイヴ・レコードの目に留まりソロ契約を結び、98年10月にデビューシングル「…Baby One More Time」を発表。“カトリック校に通う、純粋だけど背伸びしたい少女”をイメージしたMVは爆発的にヒットし、99年1月にリリースされたファースト・アルバムは全米第1位を獲得。全世界で2,500万枚を超える驚異的セールスを記録し、瞬く間に若きアイドルスターとなりました。
セカンドアルバムも全世界で2,000万枚を超えるヒットとなり、2001年にリリースしたサードアルバムにはセクシュアルな曲を詰め込み「純情アイドル」から「セクシーアイドル」へとイメチェン。02年は映画に主演、03年の『MTV ビデオ・ミュージック・アウォーズ』(以下、『MT VMA』)ではマドンナとパフォーマンス中に濃厚キスをして話題をさらい、数カ月後に発売したフォースアルバムも爆発的なヒットとなりました。
しかし、その後はゴシップで世間を賑わせるようになり、04年に発売した初のベスト・アルバムの『My Prerogative』は世界的な大ヒットになったものの、2度の妊娠と出産、激太り、離婚とイメージは最悪に。離婚・親権裁判やパパラッチに追い掛け回される生活に疲れ果てた彼女は、ノーパンで夜な夜な遊びまくり、バリカンで頭を丸刈りにし、傘でパパラッチを襲撃し、その結果メルトダウン(精神崩壊)。
「恥ずかしくて二度と復帰できないだろう」とまで書き立てられたブリトニーですが、リハビリ施設での治療・療養を経て、07年にアルバムを制作。完全復帰をかけた『MTV VMA』のパフォーマンスは、デブった体でステージをウロウロ歩くというひどいものでしたが、「Gimme More」など出す曲は全てヒットするというディーヴァならではの現象が起こるように。08年にも精神的な不安定さゆえに入院しましたが、人気テレビ番組にゲスト出演することでイメージは回復。6枚目のアルバム『Circus』は初登場第1位を獲得し、ツアーも大盛況。世間は「なにがあってもブリトニーは蘇る」と認識するようになりました。