「金目当てやない」やしきたかじん、年下妻への絶対的信頼に見る“自分好き”男の生態
たかじんは、夫人についてこう書いている。「金目当てやない」。これは逆に言うと、「金目当ての女は嫌」ということ。つまりたかじんは、夫人が「有名人だと知らなかった」と言ったことで、彼女を「金目当てでないから、信頼できる」と思ったわけである。
大金を稼ぐことができる男性というのは、非常に魅力的である。女性に置き換えてみると、けた外れの「美」がそれにあたるだろう。しかし、女性が「美しさ目当ての男は嫌」と言うことはほとんどない。これは男女の「魅力」に対するとらえ方が違うからではないだろうか。女性にとって美という魅力は、愛されるための「武器」であり、手足と同じように、自分の体の一部と捉えている。しかし、たかじんをはじめとした有名人男性は、「稼ぐ」という魅力を持ちながらも、金目当ての女が寄ってきてしまうという意味で、それが「足かせ」になると考えている。彼らは社会的地位や年収といった条件を差し引いた「素の自分」「何も持たない自分」を愛してほしいのである。
努力してより魅力的になり、愛を得ようとするのは、「自分好き」女性にありがちな行動だが、「自分好き」男性は「そのまんまの自分」を受け入れてくれることを望み、その際に金に固執する女は、絶対にNGであるらしい。
たかじんの遺言どおり、遺産は大阪市に寄付することになりそうで、ネットでは「遺産を寄付するということは、やはり金目当てではない」と擁護する男性の意見も聞こえた。しかし、お言葉ではあるが、夫人はたかじんの死後、肖像権などを管理する事務所を立ち上げており、肖像権はもちろん、印税などの定期的収入が見込まれる。たかじん絡みの収入がないわけではないのだ。
断っておくが、私は夫人が「金目当て」だと批判したいのではない。妻であり、それだけの介護を担った人が、遺産をもらうのは当然であり、金をもらうことが不純とする考え方の方が、よっぽどおかしいと思っている。
売れてきた男性のお笑い芸人は、よくバラエティ番組で「月収はいくらか」という話をするが、女芸人だけの番組では「いくら稼いでいるか」といった金の話題が出ることはほとんどない。これはつまり、男は女より「自分がいかに稼いでるか」に固執し、自慢したいと思っているということである。にもかかわらず、自分の懐具合を探ってくるような女が大嫌いというのは、大きく矛盾しているようにしか思えない。
自分の数倍稼ぐ男性に惹かれた女性は、「私、あなたの仕事のことをよく知らないので」と言おう。そして、交際中は間違っても年収の話をしたり、高価なものをねだってはならない。男というのは、女が思う以上に「自分好き」であり、「純粋な」女が好きだからだ。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。
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