「吉原の遊女と子役時代の自分は重なる」安達祐実が語る、ずっと裏切りたかった“私”とは?
遊女の母親から虐待を受けながら育った少女は、また当然のように自身も遊女となり、狭い吉原の中で空虚な日々を送っていた。そんな女郎・朝霧が半次郎という1人の男性と出会い、凪いでいた人生は突然思いも寄らない波に飲み込まれる――。「女による女のためのR‐18文学賞」大賞を受賞した『花宵道中』(宮木あや子著、新潮社)が映画化、主人公である朝霧を演じるのは芸能生活30周年を迎えた安達祐実だ。公私ともに波乱の人生を歩んできた彼女の目に遊女の世界はどう映ったのだろうか。そこには誰もが知る名子役が苦難の果てに掴んだ、「等身大の自分」があった。
――今回、遊女を演じていますが、世間の「安達祐実」に対するイメージを打ち破るような役柄ですね。
安達祐実氏(以下、安達) いまだに子役の頃を鮮明に憶えてくださっている方が多くて、「いつも元気で明るい」というイメージを持っていただいているのではと思います。それはそれで、すごくうれしいんですけど、実際の私は今もう30代ですし、年を重ねて人生の中でいろいろな経験もしてきていますので、今の等身大の自分とは、ちょっと離れているのかな、というふうに感じていました。実際の私は「いつも元気で明るい」ということもありませんし(笑)。この作品で、いろいろな安達祐実がいるということが伝えられればいいかなと思っています。
――「イメージの裏切り」からくる批判を受け止められる余裕がでてきた、ということでしょうか。
安達 そうですね。(世間のイメージは)ずっと裏切りたかった部分でもあります。たとえ賛否両論あったとしても、これをやったからといって、今後役がなくなることはないだろうという自信みたいなものは、実際に現場にいて少しずつ感じています。私自身を面白がってくれる人たちがたくさんいて、そういう人たちがいてくれる限り大丈夫かな、と思っています。
――今回の映画で、新たなファン層を獲得しそうです。特に女性ファンが増えそうですね。
安達 役柄だけではなく、私自身の生きる姿勢というのも、伝えたいことの1つです。母親をやりながら俳優としてキャリアを積むのは難しいことですけど、母親でもこういう役柄にチャレンジできるという姿勢、でしょうか。そのあたりもこの映画で感じてもらえたらうれしいです。
――今回演じた朝霧はどんな女性だと思いますか。
安達 朝霧は、プロフェッショナルな姉女郎でありながら、でもすごく少女的なんですよ。そういう部分が女性としてとても魅力的なので、最も注意深く演じたところでもあります。プロだけど、時折垣間見えるおぼこい部分というのがお客さんを惹きつけるところだったんじゃないかなと。あと朝霧は、半次郎と恋をすることによって、今まで生きていた遊女としての自分の居場所や世界が歪んでいくのを感じたわけですが、同じようなことって、今の時代でも起こりうることですし、女性には共感してもらえるのではないかと思います。