セックスを謳歌しなくてもいい――映画『ビッチ』の性事情、女性に向かう視線の行方
■「女は性を謳歌すべき」同性からの目線
左から湯山玲子氏、同作監督・祖父江里奈氏、岩井志麻子氏
映画本編では女性向けのデートクラブ(名目上はセックスなし)や性感マッサージ(本番なし)が紹介されているが、デートクラブにハマってしまうのは女医が多い傾向があると、湯山氏が漏らした。「俺東大出ていい会社入ってるのに何でモテないの?」という男はバカにされるだけだが、今はその逆バージョンが起きてきている、という。なまじ勉強ができたり、優等生だったり、カーストの上位にいたりなど、上位層にいる人にとって、「セックスも頑張らないと女として一人前じゃない」というプレッシャーは人一倍強いのかもしれない。「お前セックスがわかってないくせに」の一言で、それまで重ねた努力が揺らぐなんて悲しい話だ。しかもこの残酷さは、男性から女性だけでなく、女性から女性に向けてもあるだろう。セックスの外圧は、男から女の矢印だけではない。
また映像では、デートクラブや性感マッサージで働く男性従業員は顔にモザイクをかけずに登場している。これら男性が働く姿や語る言葉に対し、観客席からは、どっ、と笑いが出て、それがとても気になった。金で性を買う女性や、女性の性にまつわる仕事で金を稼ぐ男を笑ってやりたい、という視線をその笑いから感じ、薄ら寒い気持ちになった。また、映画自体が若干、そういった目線を伴っている部分もあるのではないだろうか。
セックスは一番プライベートな領域だ。人の性を笑ってはいけないと同時に、自分のセックスを自分でごまかしてもいけない。「セックス(恋愛や結婚も含む)って楽しいよ、あなたはセックスを謳歌していないけど、それで大丈夫?」という声は、「貞淑であれ」と変わらない圧力を感じる。性は奔放であったっていいし、貞淑であってもいいし、嫌だと思ったっていいし、明日になってそれが変わったっていい、という適当で自由な世界であってほしい。
(石徹白 未亜)