セックスを謳歌しなくてもいい――映画『ビッチ』の性事情、女性に向かう視線の行方
映画『ビッチ』は、性感マッサージを利用する女性や、高齢処女など、さまざまなセックスの状況下にある女性たちを、下ネタ嫌いで性を話すことが苦手だという椿鬼奴がインタビューするドキュメンタリーだ。言葉通りの性に奔放な「ビッチ」だけを追ったものではない作品だが、現在の女性のセックスをめぐる状況はどう変化しているのだろうか。映画上映後に行われた、監督・祖父江里奈氏、脚本・湯山玲子氏、本編にも出演した岩井志麻子氏のトークショーをレポートする。
■有働アナの膣トレは「瓦5枚破った」――性欲にフタをする外圧
トークショーでは同作の脚本も手がけた湯山氏の解説が冴え渡った。女性が自分の性欲について、男性ありきの性ではなく、自分自身でどう扱うか、どんなスタンスを取るかについて思考するようになったのは、1985年に発行された中山千夏氏の名著『からだノート」(文藝春秋社)が発端であり、そもそもフェミニズム路線で始まったものだという。それが、バブルで景気がよくなり始めると、男をゲットする目的のため、女の性欲は一旦自らの手によって隠される。その後不景気になり、男は食わしてくれないことが明らかになると、モテのためにフタをしていた女の性が暴発しだしたという。
そうして、ようやく女の「オナニー」が世間で“あるもの”として話し出された、と湯山氏。つい最近すぎるのだ。また、NHK『あさイチ』で「膣トレ」をした有働由美子アナの功績も女性の性の歴史を語るにおいて「瓦5枚割った」くらいの価値があったとのこと。有働アナの膣トレなど、2011年とごくごく最近の話だ。
「女性の性欲」がないものとされるのは、バブル時代に女が自ら隠したように、男性の存在が大きい。「セックスは俺が開発したい、俺の畑だ」という思いが男性にあり、また母や妻や娘という存在でもある女の性欲は「家族観を揺るがすから世間は慎重」になるのでしょう、と湯山氏。男性に性的に奉仕したり、男性の性的欲望をストレートに体現することがうれしい女性は確かに存在するし、普段そうでなくても、たまにはそういった気分になることもあるだろう。
しかしそうでない女性の声――「夫、彼氏のセックスに仕方なく付き合う」「セックスは夫、彼氏以外の方が相性がいい」「子どもが欲しいからセックスするのであり、セックス自体は好きでない」「セックスが嫌いだ」は男性にとって聞きたくない、おぞましいだけの意見なのだろう。