『HERO』――正しい男“キムタク”の役割を再選択した、俳優・木村拓哉の強さ
■90年代~00年代で変わった俳優・木村の役割
『HIRO』放送中の7月。フジテレビ系でSMAPが総合司会を務めた『27時間テレビ』が放送された。放送の中では今までタブー視されていた旧メンバー・森且行の話や、稲垣吾郎や草なぎ剛の起こしたトラブルについて語られ、SMAP解散をモチーフにしたフェイクドキュメンタリー調のドラマも放送された。
それは一見、ラディカルな試みに見えるが、どこか予定調和で、解散がテーマのドラマが作られる事自体、「もう解散はできないのだ」とSMAPが宣言しているようだった。ポストBIG3(タモリ、ビートたけし、明石家さんま)として、「楽しくなければテレビじゃない」というフジテレビイズムを引き受ける皇位継承の儀式のように見えた。しかし、テレビという王国が滅びゆく場所だというのは、誰の目にも明らかだ。正直、そんな場所に今後SMAPや木村が縛られ続けるのかと思うと気の毒に感じる。
時々考える。もしもSMAPが90年代末に解散していたら、木村拓哉は俳優としてもっと自由に生きられたのではないか、と。少なくとも90年代の木村は、情けない青年も、色気のあるチンピラも、ミステリアスな悪役も自由に演じていた。しかし、00年代以降は、その絶大な人気ゆえに、検事や総理大臣のような誰の目にも圧倒的に正しい男しか演じることが許されなくなってしまった。そのはじまりが『HERO』だったことは言うまでもない。
もしかしたら、『月の恋人』以降の迷走期は、木村がスター俳優の座から降りて、魅力的な脇役として生まれ変わる最後のチャンスだったのかもしれない。しかし木村は文字通りヒーローであることを選んだ。おそらく『HERO』は今後も続編が作られ、“現代の時代劇”として『水戸黄門』や『大岡越前』(ともにTBS系)のような支持を受けていくのだろう。それがたとえ、マンネリだとしても、みんなが求めるキムタクをきっちりと演じきることを、木村はあらためて選択したのだ。
(成馬零一)