処女喪失をめぐる「抜け駆け禁止」――『蝶々の纏足』が描く、女子の複雑な人間関係
■今回の官能小説
『蝶々の纏足』(山田詠美、新潮社)
セックスに対して性欲が先行しがちの男と違って、女は好奇心が先行する場合が多い。その違いは、思春期の頃に顕著に出る。エロ本やAVで女の裸を見てストレートに欲情する少年たちとは異なり、少女たちはコミュニティ内で性への関心を育てるのだ。クラスのあの子が初体験をしたとか、夏休みにあの子に彼氏ができたというように、女同士の関係性の中で、性の情報を得て、同時にどちらが先に性体験をし、大人になるかを窺い合っている。そこには、友情の裏返しとして、「抜け駆けしてはいけない」という思春期の女同士の束縛がある。
思春期の少女たちを瑞々しく描いた『蝶々の纏足』(新潮社)は、美しい少女・えり子に縛られ続ける地味な少女・瞳の物語だ。幼馴染みの瞳とえり子は、周囲からは仲の良い親友同士に思われているが、実は瞳は、どこへ逃げようとしても行く手を塞ぐえり子のことを疎ましく感じていた。
2人が知り合ったのは、5歳の頃。えり子は大きな屋敷に住み、人形のように可愛らしい顔をしていて、赤やピンクの服が似合う女の子だ。対する瞳は、黒い服ばかり着ている。華やかなえり子の側で、影のように佇む瞳。彼女はえり子を輝かせるために、束縛され続けていた。
えり子はいつも瞳を一番に大事にしていたが、瞳が一歩先に出ようとすると即座に阻止した。例えば、恋愛に関してだ。瞳は、8歳の頃に初めて好きになったクラスメイトにラブレターを書き、えり子にだけその恋心を打ち明けていた。けれどえり子は、まだ「恋」というものを知らなかった。匿名で書いたラブレターは、クラスメイトたちに曝されてしまう。差出人は誰かとうわさになると、えり子は名乗りを上げた。「それ、私が書いたのよ!」と。私より先に行くことは許さない――えり子は瞳にそう念を押したようだった。
2人は高校生になり、瞳は麦生という男子と付き合い始めた。瞳は麦生からさまざまなことを教わる。セックス、シャンソン、酒、煙草。それは、全てえり子の知らないものだった。その事実は、「ようやく、えり子に勝った」と、瞳を勝利の快感へと導いてゆく。
ある日えり子は、「瞳をひきずり込むな」と麦生に訴える。えり子がなぜそんな行動に出たのかと言えば、「瞳が心配だったから」という。そして瞳は、幼い頃から鬱積した気持ちをえり子にぶつけ、もう、逃がしてくれと願い出る。
長い間、えり子という呪縛に翻弄されつづけていた瞳。彼女は男を知ることで、少女から女へと変貌し、えり子から開放されたと感じているように見える。しかしその実、瞳はえり子という足かせがあったからこそ、少女から女に脱皮できたのではないだろうか。えり子を疎ましく感じ、自分を否定していたことが、瞳を成長させる原動力になったとすれば、2人は互いに依存関係にあったと思えるのだ。
「セックスするだけでは、人は成長しない」ということは、瞳と麦生のセックスシーンから読み取れる。麦生は、セックスをしても“少年のまま”として描かれているのだ。それはやはり、瞳が成長できたのは、ただ麦生と体を重ねたからではなく、えり子の亡霊を消し去れたからであることを示しているのではないだろうか。
性と欲望が直結している男たちとは異なり、女はセックスをめぐる少し複雑な人間関係をくぐり抜けて大人になる。そんな遠回りを経験した女にとって、セックスとは、一筋縄ではいかない、けれど同時に魅惑的な行為となり得るだろう。
(いしいのりえ)