「退職して田舎で母と暮らす」Uターン介護を決心した夫に戸惑う中国人嫁
テニスのルールも知らないというのに、錦織くんの活躍でさすがに注目してしまった全米オープン。ルールはわからないが、テニスにはちょっとだけ親近感がある。テニスをしたこともないのに、テニス肘なのだ。かれこれもう4カ月。治らん。ラケットを持つどころか、フライパンも持てない。笑……ってる場合じゃない。
<登場人物プロフィール>
菅田 桂英(45)神奈川在住。中国出身で、日本人の夫、大学生の子ども2人と暮らす
菅田 文章(52)桂英さんの夫。九州出身
菅田 ヒフミ(80)文章さんの実母。九州で一人暮らし
■「いかにも中国人」と義母。帰化して和子という名前に
菅田さんは、中国人だ。大学在学中、留学生として中国に来ていた夫と知り合い、卒業と同時に結婚、来日した。日本での生活が長いせいか、中国人には見えない。
「子どもの頃から外見が中国人らしくないと言われていて、“小日本人”と呼ばれていたくらいだったんです。だから、日本人と結婚して日本に住むことについては結構楽観的に考えていました。5人いる兄弟たちは留学したり、海外で働いていたりしたので、両親もさほど反対しなかったのですが、主人の両親からの抵抗の方が大きかったですね」
夫の実家は九州地方の旧家だという。その上、夫の父親は大学で教鞭を執っており、地元では名士として知られていた。
「主人の実家の周りには中国人のお嫁さんがいる家などいなくて、嫁不足の地方でもないのに、うちのような家柄の長男が中国から嫁をもらうなんて世間体が悪いと言って反対していたようです。結婚して日本に来てわかったことなんですが、日本で知り合いになった中国人女性って、内陸部の貧しい地域出身の子が多いんですよ。そういう人たちなら、日本人と結婚していい暮らしをしたいとか、親に仕送りをしたいと思うかもしれませんが、私はそんなことを思ったこともありませんでした。私の実家があるのは北京に次ぐ大都市だし、お父さんは共産党の党員で、お母さんは会社を経営していました。私や兄弟たちは小さい頃からピアノやバレエを習わせてもらっていたし、はっきり言って夫の実家の方がずっと田舎で貧しいですよ」
中国人だからと、一緒くたにしてほしくないという菅田さんの憤りも理解できる。しかしともかく菅田さんは国際結婚についてあまり深刻に考えることもなく、20代前半で日本に嫁いだ。今でこそ日本語は流暢だが、言葉、特に学校関係の書類などには苦労したという。それでも持ち前の社交性で、中国人だけでなく日本人の友達も増えた。
「日本人の友達には、日本人よりも友達が多いって笑われています。仕事はしていませんが、毎日予定が詰まっていて忙しいですよ。九州の主人の実家に帰るのは年に1回くらい。結婚当初は主人の両親も戸惑っていたようですが、根がいい人たちなので特に嫌な思いをしたこともありません」
菅田さんは笑うが、実は菅田さんは子どもが生まれたときに日本に帰化している。夫の両親が強く希望したためだという。
「ケイエイという名前じゃ『いかにも中国人みたい』って義母が言うので。だって中国人なんですけど(笑)。呼びやすいように、日本人らしい名前になったら? と。それで義母が名づけてくれた『和子』という名前で呼ばれるようにはなりましたが、友達にはこの名前は伝えてないです」