赤線地帯の女を描く『ある脱出』、娼婦の“性”への葛藤が心を掴んでしまう理由
■今回の官能小説
『ある脱出』(『娼婦小説集成』より/吉行淳之介、中央公論新社)
皆さんは「赤線地帯」というものをご存じだろうか? 赤線は、1958年以前に公認で売春が行われていた地域の俗称である。有名なところでは、東京の吉原などがかつて赤線地帯であり、飲食店として風俗営業の許可を取得し、女たちは女給となり男性客を取っていた。
飲食店の看板を掲げた店が立ち並ぶ遊郭に勤務し、男たちに刹那的な快楽を売る女たちの姿を小説として多く残したのが、吉行淳之介だ。赤線遊び好きとして有名だった吉行は、赤線に生きる女たちを生々しく描いた『驟雨』で第31 回芥川賞を受賞している。今回ご紹介する『娼婦小説集成』(中央公論新社)の『ある脱出』も、赤線地帯の女性の物語である。
娼家「銀河」で働く弓子が、ある日取った客・柏木は、不思議な雰囲気を醸し出していた。彼に抱かれていると、弓子はいつもえも言われぬ快楽に身を委ねてしまう。彼は卑猥な絵を売る行商として生業を立てようとしていた。
弓子と同じ娼家に来て半年ほどたつ蘭子は、娼婦としての自分を男たちが通過していくたびに幸せを感じる体質で、売り上げも抜群だった。一度は結婚を期に赤線から去った蘭子だが、夫となる男が金に不自由をしており、再び店に戻って来た。体は開いても心は開かない娼婦である弓子は、客である男たちに全てを開く蘭子に疑問を抱いていた。
弓子は、ある日蘭子にあるお願いをされる。彼氏との愛撫シーンを、カメラに収めてほしいというのだ。蘭子は、それが「愛のしるし」だという。弓子は、まぐわう2人をファインダー越しに見つめ、シャッターを切った。
そしてその写真はのちに、柏木の目に触れることとなる。柏木は蘭子を求めて「銀河」へ足を運ぶが、そこに彼女の姿はなく、代わりに柏木の相手を弓子が担当することに。柏木の心を奪った蘭子に対し、弓子は激しく嫉妬を燃やすが――。
蘭子を見ていると、「生まれながらの娼婦は存在するんだ」と思い知らされる。裸になって大勢の男たちが興奮することに悦びを得られる……という女だ。そんな蘭子の奔放な性が描かれると、弓子の「普通っぽさ」がより際立ち、筆者をはじめ、多分女性読者の多くが弓子に感情移入しやすくなるのではないだろうか。
弓子にとって蘭子は、摩訶不思議な存在として描かれ、彼女の娼婦としての在り方に疑問を抱いているように見える。しかし、弓子の心の中には、どこかで蘭子を「同じ娼婦として羨ましい」と感じていると思えた。そんな弓子が抱える娼婦の葛藤と、女同士の関係性が緻密に描かれているのが面白い。
赤線地帯がなくなった今も、体を売る女たちは存在している。束の間の快楽に身を委ね性欲を散らす男と、セックスで体や心をどこまで裸にするべきかと葛藤しながら男を癒やす女――毎夜、そんな人と人のドラマを紡いでいる娼婦たちは、いつの時代もどこかたくましく我々の目に映ってしまうものだ。
(いしいのりえ)