散骨、樹木葬に永代供養……嫁ぎ先の墓を拒否する女たち、いまだ女は三界に家なし?
認知症の男性が徘徊中に列車と接触して死亡した事故で、妻に監督義務があったとして、鉄道会社に対し賠償金の支払いを命じる二審判決が出た。一審から賠償額が半減したとはいえ、360万円と多額だ。なんてこった。介護する家族はどこまで負担を強いられるのか。24時間、見守ることなど到底不可能だ。民間の介護保険はあるが、もちろんこういう場合は想定していない。保険会社が目をつけそうだな。
<登場人物プロフィール>
牛尾 いずみ(41) 独身で母親と都内に暮らす
江口 智行(46) 北関東在住。妻と子ども2人の4人家族
■死んでまで姑と一緒にいたくない
前回は、墓に対する息子の強い思い入れを書いた。今回は嫁から見た墓の話をしてみたい。
牛尾さんは、休日を利用して母親と伯母の墓参りをした。正確には、墓参りではない。1年前に亡くなった伯母が眠っているのは、都内から車で3時間かかる山中だからだ。散骨、樹木葬と呼ばれているものだ。
「母がどうしてもお墓参りをしたいと言うんです。お墓じゃないですけどね。でもあまりに遠い上に、人けのない寂しい山中なので、とても母一人では行かせられません。それで行楽を兼ねて(笑)、行ってきたというわけなんです」
散骨はもちろん、おそらく樹木葬も、そこに遺族が参拝しに来ることは想定していないのだろう。しかし親族にとっては、そこにお骨があるということは大きな意味を持つもののようだ。
「ついていく私も大変なんですが、母も足腰がしっかりしている間でなくてはお参りは無理ですね。伯母には子どもがいなかったので、母がお参りに行けなくなると誰も訪れることがなくなるでしょう。まあ、それが散骨とか樹木葬の本来の姿なんでしょうが」
伯母には子どもがいなかったとはいえ、嫁ぎ先のお墓はあったという。先に亡くなっていた伯母の夫もそこに眠っている。しかし、伯母はどうしてもそこには入りたくないと、生前に樹木葬の契約をしていた。
「お姑さんに、それはいじめられたらしいんです。子どもができなかったことも、なおさらつらく当たられる原因になったようですね。死んでまでそのお姑さんと一緒にいたくないと、樹木葬を選んだんです」
家の絶えた墓は、無縁仏となる。伯母のささやかな仕返し、なのか。
■でっかいタケノコのような墓
今年初め、父親を亡くした江口さんは、先日四十九日の法要後、父親のお骨を納骨して驚いた。とてもお墓とは言えない代物だった、と嘆く。江口さんの両親は20年ほど前に離婚。父親は、その後再婚していた。
「後妻さんは父より15歳も年下ということもあって、父のことはすっかり後妻さんに任せていたんです。葬儀が終わって後妻さんとその後のことを話していたら、もうお墓はあると言うんです。でも永代供養をお願いしているから、四十九日までは納骨を兼ねて法要をするけれど、それ以降の法要はしない。それは父の意向でもあると。いくらなんでも一周忌の法要をしないなんて罰当たりなことはありませんよ。僕ら息子もいるのに。こうなってみると、今さらながら親不孝を恥じるばかりです。もっと父親と話をしておくべきだった」
江口さんの後悔は、四十九日を済ませてからは一層大きくなった。その“墓とは言えない代物”を目の当たりにしてからだ。
「霊園は立派なんです。ところが永代供養の区画は、一応個人ごとに分かれてはいるんですが、形が奇妙。お墓というより、でっかいタケノコ(苦笑)。そこに父親の名前が入っている。情けなかったですね。あれなら散骨してくれた方がまだマシ。若い後妻さんに全て任せていた僕がバカだった。ま、そんな後妻さんにいじめられずにポックリいってくれて、まだよかったのかもしれない」
江口さんは自虐的に言うが、これも見方を変えてみると、後妻さんがしたことも理解できないわけではない。たしかに、後妻さんが生きているうちは法要くらいきちんとやるべきだとは思うが、永代供養の墓(“とはいえない代物”だが)に決めたのも、自分が後妻だったからだろう。息子たちがいるとはいえ、後妻さんから見れば前妻の子。血のつながっていない息子たちが、父親はともかく、後妻である自分の供養をちゃんとやってくれるとは思えなかったのではないか。死んだ後も、ずっと1人だけ“他人”なのだ。それなら最初から墓などない方がいい。そう割り切ったのだろう。
いくつになっても嫁は嫁。いまだ「女は三界に家なし」なのかもしれない。