「母を否定すると自分も否定することになる」音信不通のまま父親を亡くした娘の後悔
少し前になるが、みんなの党の渡辺喜美氏の辞任会見を見てしみじみ思った。あの人が政治家としてパワフルに思えたのは、髪型によるところが大きかったんだということ。会見では、ワックスをつける気力もなかったのか、ホワホワした毛が元気なくなびいていた。髪型ってアイデンティティだ。佐村河内氏も、小保方さんも、雅子さまも。
<登場人物プロフィール>
長岡 咲子(39) 大学で上京して以来、ずっと一人暮らし
長岡 つね子 (68) 咲子の母
■ずっと母の顔色をうかがってきた
長岡さんは半年前に父親を亡くした。5年ほど前に脳梗塞を患ってはいたものの、懸命なリハビリの結果、室内なら杖なしで歩行できるまでに回復していた。それが突然2度目の発作を起こし、そのまま意識が戻ることなく他界してしまった。離れて暮らしていた長岡さんも、弟も父親の最期には間に合わなかった。
半年たった今も長岡さんが悔やんでいるのは、父親の最期に間に合わなかったことだけではない。
「ここ1年ほど、実家に帰ることも、電話をすることもありませんでした。そのことを猛烈に後悔しています。父の声を聞きたかった。優しい言葉をかけてあげればよかった。私が顔も見せず、電話もしなくて父もさびしかっただろうと思うと、いてもたってもいられなくなり、毎晩泣いてしまいます」
長岡さんの言葉からは、父親のことを大好きだったのがうかがえる。それなのに連絡をしていなかったのには理由があった。
「母です。昔から気性の激しい人で、子どもの頃からずっと母の顔色をうかがってきました。早く家を出たかったので、家から通えない大学を受験して上京しました。それからずっと一人暮らしです。弟も同じで、独立心旺盛と言えば聞こえはいいですが、バラバラな家族でした。夏休みに帰省しても、突然母のご機嫌が悪くなって予定を切り上げて帰ることもたびたびでした。父はいつも『ごめんね』と謝りながら、私を駅まで見送ってくれていました。父に会うためだけに帰省していたようなものでしたが、母のいる実家に帰るのは気の重いものでした」
■母からの“幸せになるな”
長岡さんや弟が社会人になり、弟が家庭を持って孫ができても、そして父親が脳梗塞で倒れてからも、母親の性格は変わらなかった。
「父が倒れて病院に駆けつけた時も、父よりも母に気を遣わないといけませんでした。実はその時、私も婦人科系の手術を控えていたんです。黙っているつもりだったんですが、父の容体のこともあるので、連絡が取れないといけないと思って一応母に知らせたんです。母の反応は『いやぁね、こんな時に』ですよ。心配してくれるような人じゃないことはわかっていましたが、まさか『いやぁね』とは……何なんだろう。母の呪縛、って最近よく聞きますが、うちの母は私に“幸せになるな”という呪縛をしているような気がします。いまだに独身なのは、見事に母の呪縛が効いているんでしょうね」
笑っているものの、長岡さんの目には涙がたまっている。
「本当はこんなことを言って、母を否定したくないんです。だって母を否定してしまうと、自分も否定することになってしまうじゃないですか」
長岡さんは、リハビリ中の父親を元気づけようと、嫌がる弟にも声をかけて家族旅行を何度も計画したという。そのたびに気分屋の母親に振り回され、疲労困憊しながらも父親のためだからと我慢し続けた長岡さんだったが、ある日とうとう母親に怒りをぶつけてしまった。父親が亡くなる1年前のことだ。
「それで完全に母がつむじを曲げてしまいました。私ももう母の機嫌を取るのに疲れてしまって。それで帰省もせず、電話もかけず……そしてそれから1年後、父が突然の発作で急逝してしまったというわけなんです。母のせいじゃない。母の性格をわかっていながら、意地を張って連絡しなかった私が悪い。父と話すこともできないまま旅立たせてしまったのは、全部私のせいなんです」
そう言っては涙を流す長岡さんに「長岡さんのせいではないと、お父さんもわかっていますよ」と声をかけ、抱きしめるべきか迷ったができなかった。抱きしめてあげたら、長岡さんの気持ちも少しは軽くなっただろうか。