「浮気する女の外見が知りたい」男の浅はかさを断罪した、“清純派”広末涼子
「清純派」は広末の定冠詞だが、芸能界に身を置く女性は、大きく分けて「清純」か「セクシー」かのどちらかに分けられる。この場合の清純とは、男と接触のない処女という意味ではなく、肌の露出は少ないが「脱いだらすごいだろう」もしくは「脱がせてみたい」と想像させる意味であり、芸能界における「清純」も「セクシー」も結局は、男のエロ心をそそる手段であることに変わりはない。つまり、一流の「清純」とは、一流の「セクシー」であり、「聖ヒロスエ」は「性ヒロスエ」なのである。しかし、繰り返しになるが、男は見た目でしか女を判断しないので、清純に「見える」女性が、少しでも清純派にそぐわない行動を取ると、途端に「あんな顔して」と叩くのだ。
そんなトップアイドルから女優へと、芸能界の王道を歩み続ける広末だが、やはりほかの女性芸能人とは大きく異なる特徴があると、私は踏んでいる。広末は男に見返りやステイタスを要求しない。女優の結婚相手といえば、俳優やプロデューサー、もしくは実業家というケースが多い。前者は仕事上のメリットをもたらし、後者は金を運んでくれる。しかし、広末の夫2人は、どちらにもあてはまらない。前夫は元モデルのデザイナーというものの、めざましい活躍はしていなさそうだし、現在の夫であるキャンドルアーティストのキャンドル・ジュン氏も、収入は遥かに広末に及ばないそうだ。
収入格差は夫婦不和のもとになりそうだが、広末の不倫を報じた女性週刊誌によると、広末は周囲に「(キャンドル氏のことが)本当に好き」「(被災地のボランティアでキャンドル氏が不在がちなことについて)寂しい」ともらしたそうだ。
金もステイタスも求めない広末が男に求めるのは、そばにいること、ひいてはセックスということではなかろうか。広末にとって自分のそばにいない、つまりセックスをしないということは、収入がないことや子どもの面倒を見ない以上にひどい仕打ちであり、不倫の理由になりうるのだろう。セックスを重視しない日本の結婚は広末の肌に合わず、広末は今後も結婚と離婚を繰り返すのではと思えてならない。外国人男性と浮名を流す可能性も高い。広末はその実態もやはり、性ヒロスエなのである。
最後に広末の不倫をけしからんとする男性諸氏にお聞きしたい。もし、広末が例のせつなげな顔であなたに「寂しい」と言い寄ってきたら、断ることができるだろうか? 自分は決して広末を相手にしないと断言できる男性のみ、広末を断罪してほしいものだ。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。
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