亡父と妻の肉体関係を暴きたい――『砂の上の植物群』の色あせない真っ直ぐな性愛
■今回の官能小説
『砂の上の植物群』(吉行淳之介、新潮社)
子どもの頃、なにげなく書店や図書館などで手にした本。その中に、官能的な表現が描かれていて、驚いた記憶はないだろうか? 筆者がこの本を手にしたのは、ちょうど中学生の頃。手当たり次第に本を読みあさっていた時に出会った吉行淳之介の『砂の上の植物群』(新潮社)この本には、当時の私が知らない男女の世界が書かれていた。ドキドキしながらページをめくっていた私は、いけない世界に踏み込んでしまった罪悪感を得る半面、幼いながらに大人の世界を垣間見てぞくぞくした覚えがある。
本書は、私が産まれる前の1964年に発表された作品。主人公は、40歳前後のセールスマン・伊木一郎。彼は、最近完成された塔の上で不思議な少女と出会う。真っ赤な口紅を塗った女子高生、明子。彼女の姿は、一郎が以前働いていた定時制高校の教え子、朝子を連想させる。定時制高校に通い、居酒屋で働いていた朝子も、明子と同じように真っ赤な口紅をしていた。
塔の上で2度目の再会をした一郎と明子。彼女は一郎に「あたしの姉を、誘惑して」と持ちかける。一郎は、明子の姉・京子が勤める酒場に通うようになり、やがて京子とも関係を持つようになる。
京子は誰とでも寝る女で、快楽のためならば乳首を噛まれあざを作ることも、手首を縛られることも拒まない。しかし淫乱な京子は、妹の明子には純潔でいることを望む。明子は、姉の作る自身の偶像を壊したい衝動に駆られていたのだ。
一郎は、そんな姉妹のいびつな関係性をただす道具として使われていることを自覚する。そこに、一郎の父親への気持ちが交錯していく。
画家であった一郎の父。そのモデルをしていたのが、一郎の妻・江美子だ。北欧の血が入ったクオーターの江美子は抜群の美貌を持ち、17歳の時に父親のモデルをしていた。一郎は、亡き父と江美子が肉体関係を結んでいたのではないかと疑っているのだ。亡き父の影に操られ、女たちに翻弄される一郎の結末は――。
心の中に潜む、いやらしい感情。しかし、男女問わず人は自身のいやらしさに照れがあったり、恥ずかしいと感じたりして、つい斜めから捉えてしまいがちだ。性愛と真正面に向かい合うのは恥ずかしいから、つい照れ隠しで笑いに変えてしまう人も少なくないのではないだろうか。
けれど本書を読んでいると、登場人物たちは真っ直ぐに性愛と対峙している気がする。明子が京子に対して純潔でいたくないと感じるように、一郎が亡き父と妻の関係を疑うように、自分の中にくすぶっているいやらしい感情を、恥ずかしがらずに堂々と表に出しているのだ。
もちろん最近では、女性もセックスに関して堂々と話ができるようになってきた。しかしそれはあくまでも、周囲の人々に引かれない程度のさじ加減でしかない。根本的な性への不満や欲望は、決して他人と共有できる事柄ではないのだ。だからこそ、半世紀前の作品であるにもかかわらず、本書の性愛表現は今も色あせずに、私たちの心に強く響く。
美しく、読み進めるだけで官能を感じる吉行淳之介の文章。その軽やかな文体で描かれる純粋な性愛は、中学の頃の私にも衝撃的だったが、性に対して臆病になってしまった大人にこそ読んでもらいたい作品だ。
(いしいのりえ)