「赤いドレスの通り魔」「ひらひらさん」と呼ばれた連続通り魔・伊田和世の実像
■小学生から化粧、おしゃれと美貌への自負心
逮捕のきっかけとなった窃盗事件にしても、奇妙なものだった。8月28日深夜2時過ぎ、隣家の物置からの物音に気づいた住人は、物置から自転車で逃げる女を目撃した。しかし女はすぐさま現場に戻り、窃盗しては自転車で往復することを4度も繰り返したという。しかも彼女の服装はネグリジェ風の白い花柄のサンドレスとハイヒール、しかも顔には厚化粧という、これまた泥棒には似つかわしくない出で立ちだった。
さらに奇妙なことに、窃盗現場から程近い周辺でも2つの異変が起きていた。事件の前日、近所の空き地では、体がバラバラにされたバービー人形が30体ほど投げ捨てらる事件が起こっていた。また、犯行当日には近所の民家の庭に膨大な不気味なゴミが投げ入れられるという騒動が起こっていた。ゴミの中には、血痕がついたバラバラにされた7体のリカちゃん人形、腹がちぎられたぬいぐるみも数体、ほかにも使用済みの生理ナプキン、ハイヒール、薬、くい散らかされた食品など、いずれも不気味なものばかりで、大きなゴミ袋9個分ともなる膨大なものだったという。後にこれらが和世の仕業だったことが判明しているが、連続通り魔にしても、人形やゴミの投棄にしても、窃盗にしても場当たり的で、何が動機なのか判然としない。
そんな犯行を起こした和世とは一体どんな女だったのか。和世は1964年、名古屋で中流の下という家庭に生まれ育った。しかし目を惹く特徴があった。和世は幼少の頃から近所でも有名な美貌の持ち主だったのだ。和世は小学校にも中学校にもほとんど登校してはいない。時折、気が向いたように登校する和世は、ふりふりのスカートにつばの広い帽子をかぶり、髪をカールして化粧までしていたという。
不思議なことに、和世のこうした振る舞いを、家庭でも学校でも熱心に咎める大人はいなかった。本人は美貌とおしゃれに自信があっての行為だったようだが、小中学生には似つかわしくない服装や立ち振舞いは、周囲を驚かせ、奇異な印象を植え付け“変人”の烙印を10代の和世に押しただけだった。和世は幼少期から一貫してトラブルメーカーでもあった。学校では目のあった同級生を恫喝し、気にいらないことがあると相手を睨みつけた。性格はエキセントリックで、攻撃的だったため友人はほとんどいなかったという。
中学を卒業した和世は進学することなく水商売の道に入る。和世は人気ホステスとなり、ホステス時代には、他店からの引き抜かれるほどとなった。水商売だけでなくコンパニオンやモデルもやっていたという。人気ホステスや派手な職業を転々とした和世だったが、しかし23歳の時、それらを全て辞め、「ブランド品を購入するため」と言ってソープで働き始めるのだ。23歳で売れっ子ホステスとなっていたため、借金があったわけでもない。水商売から風俗に移ることは当然、高いハードルがあったはずだが、和世はそれを軽々と越えた。
ソープでも売れっ子となった和世だが、ソープも2年ほどで辞めてしまう。20歳以上年の離れた妻子のある愛人ができたのだ。愛人は月に17万円ほどの手当てを和世が逮捕されるまで続けた。関係は次第に希薄になっていったようだが、それでも和世は25歳から逮捕するまで働くことは一度もなかったという。