ドラマレビュー第30回『紙の月』

『紙の月』に浮かぶ、金と男に溺れる毒婦が求めた「存在する意味」の罪

2014/01/26 18:00
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『紙の月』公式サイトより

 NHKで火曜午後10時から放送されているドラマ『紙の月』は、41歳の主婦・梅澤梨花(原田知世)の転落劇だ。物語冒頭、彼女はタイの国境にいる。同じ頃、梨花の母校・聖マティアス女子学院の同窓会では、梨花が銀行で顧客の金を1億円横領して逃亡したことが話題になっていた。うわさによると男に貢いだということだが、真相はわからない。果たして彼女はなぜ、罪を犯したのか。物語は、梨花が犯罪に手を染める経緯を時系列で見せていく一方で、彼女の友達だった岡崎木綿子(水野真紀)と中条亜紀(西田尚美)の視点から、梨花が失踪した理由を推理していく。

 銀行でパートタイムの営業職として働く梨花は、丁寧な応対でお年寄りの顧客から絶大な信頼を得ていた。日常的に100万円単位のお金に触れる生活の中で、お金に関する感覚が麻痺していったのか、無神経な夫の振る舞いに嫌気がさしたのか、それとも、大学生の男との恋が彼女の人生を狂わせたのか――。

 亜紀は、梨花が高校生の時に、学校に行けないアフリカの子どもに対するボランティアの募金に50万円を寄付したことが問題になったというエピソードを夫に語り、そんな梨花が何で横領なんかをしたのかと疑問に思う。しかし、そんな梨花だからこそ、罪を犯したのだと次第に明らかになってくる。

 原田のポーカーフェイスもあってか、物語は梨花の感情の流れを抑制したまま、淡々と進んでいく。その一方で、見ている側の心をざわつかせるのは、作中で神経症的に描かれる金額の描写だろう。はじめての給料で夫におごった450円の肉じゃが、梨花がパートタイムで受け取った月給8万5,000円、フルタイムに昇格して受け取った月給19万9,478円、亜紀が衝動買いした洋服の金額22万3,000円、木綿子の娘が父親に出題する「今日のごはんは1人何円でしょう」というクイズ(正解は85円)、苦学生の平林光太(満島真之介)が借金している50万円の学費etc。銀行を舞台にしているとは言え、テレビドラマの中で、ここまで執拗に具体的な金額を描写することは極めて稀なことで、「お金を中心に世界は回っている」と作品自体が主張しているかのようだ。そして梨花は、シミの予防のために6万9,000円の化粧品セットを買うためのお金を、顧客から預かった資金で立て替えたことをきっかけに、金銭感覚が少しずつおかしくなっていく。

 夫が上海に転勤となり、一人暮らしをすることになった梨花は、顧客から預かった金で高級ホテルのスィートルームに光太と宿泊し、高い服を買い漁るようになる。しかし、梨花の姿は欲望に溺れた毒婦というよりは、厳格な信仰に生きる修道女のようにストイックに見える。なぜ禁欲的に見えるのか? それは梨花と対比されることで描かれる木綿子の主婦として節約する姿や、買い物依存症となってカード破産寸前までいき、夫と離婚した亜紀と対比されることで明らかになっている。

 木綿子と亜紀の悩みが、あくまで世俗的で視聴者にとってわかりやすいものであるのに対し、梨花の金への動機はどこか現実離れしていて、つかみどころがない。学生時代の梨花は「私ね、誰かの役に立てないなら存在する意味がないような気がするの」と語っている。梨花が苦しんでいたのは「誰かの役に立ちたい」という自分の中に抱えている善意を向ける場所がなかったからだ。


 横領を重ねるほど、梨花の透明度は増していく。お金がもたらす万能感が、夫との暮らしの中で鬱屈していた彼女の心を解放したことを本作は隠さない。梨花の転落劇に妙な説得力があるのは、1つの大きな理由が引き金となったわけではなく、小さな要素が積み重なって、大きな破綻へと向かっていくからだ。作中に登場する雑誌記者が、「純粋な少女が心に闇を抱えた主婦になり、若い男に走って金を横領した」といったフレーズで彼女のことをまとめようとすることに対し、ドラマは彼女の周囲で蠢く金の流れを丁寧に見せることで、起こったことの全貌を捉えようとする。

 そして、ストーリー以上に気になるのは梨花の所在のなさだろう。自主映画を撮っている光太から、「妄想の中にしか存在しないヒロイン」を演じてほしいと言われる場面は、『時をかける少女』で映画女優となった原田のキャリアを連想させると同時に、映画監督とファンのために妄想の中のヒロインを演じてきた姿とも重なる。女優がヒロインを演じるかのように、光太のためにお金持ちの主婦を演じていた梨花は、演じていたはずの役柄に呑み込まれていく。

 梨花に罪があるとすれば、横領をしたことでも浮気をしたことでもなく、誰かのために生きたい、人に役立つ存在でありたいという気持ちを断念できなかったことだろう。もしかしたら、それはもっとも罪深くて哀しい欲望なのかもしれない。
(成馬零一)

最終更新:2014/01/26 18:00
『紙の月』
それも自己愛やエゴ