大沢・喜多嶋問題から考える、「生物的な親」と「法律上の親」をめぐる問題
性同一性障害とは「生物的な性と性の自己意識が一致していない」ことであり、2004年には「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が施行された。性別を変更する条件として、「二十歳以上であること。現に婚姻をしていないこと。現に未成年の子がいないこと」、さらに「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」が必要となってくる。
元々の生物的な性の状態で子供を作っていては性別を変更できないし、元男性であれ、元女性であれ、その生殖機能をなくし、見た目を新しい性に近づけることが必要となる。これを「性別適合手術」と呼び、これによってやっと戸籍も変更されるのだ。つまり現行の法律では、性同一性障害者は「生物的な親にならないことを選択」しなければならない。しかし戸籍上で新たな性を認めたのであれば、その夫婦から生まれた子供を嫡出子として認めることに矛盾はないと思う。
それでも、この判決に関して、ネット上などを中心に「実際に生物的な親子じゃないのに、嫡出子として認めるなんて最高裁の判断は間違っている」という声も聞かれる。しかし日本では、「不倫ではないのに、父親が生物的な親でないことを夫婦ともわかっていながら、嫡出子として届け出る」ケースがあるのだ。それは「男性不妊のために、第三者の精子提供を受けた人工授精による妊娠」である。これは先に述べた性同一性障害男性のケースと、ようするに同じである。
日本ではこの非配偶者間の人工授精は戦後の1948年から多く行われ、すでに1万数千人以上が生まれていると言われているが、「その精子が誰のものか」という記録を残していなかったため、彼らは自分の生物的な親を知ることができず、これも問題となっている。
こういった問題は、大沢・喜多嶋問題とは離れていると思うかもしれないが、婚外恋愛や性同一性障害や生殖医療などによって、「嫡出子」=「実子」=「生物的な子」と単純に判断できない場面が増えているのだ。生まれた子供たちにとっては、育ててくれる社会的な親がきちんといることが一番大事ではあるとは思うが、もちろん生物的な親を知ることは子供にとっては重要な権利であると思う。
次回も引き続き、この問題について考えてみたい。
深澤真紀(ふかさわ・まき)
1967年、東京生まれ。コラムニスト・編集者。2006年に「草食男子」や「肉食女子」を命名、「草食男子」は2009年流行語大賞トップテンを受賞。雑誌やウェブ媒体での連載のほか、情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)の金曜コメンテーターも務める。近著に『ダメをみがく:“女子”の呪いを解く方法』(津村記久子との共著、紀伊國屋書店)など。