『パリ、ただよう花』が問う「労働者とのセックスに溺れるインテリ女は愚かか?」
「わたしたちは違いすぎる」
ホアがマチューに告げたこの言葉には、どんなに身体を重ねても、どれだけ肉体を求め合っても心はつながらないという現実が詰まっている。マチューと別れ、再び北京に戻ったホアは、一体どのような将来を選ぶのだろうか――。
愛情を育むためには、相手の“個”を尊重することが何よりも大切だ。だからこそ、それぞれが今まで歩んで来た人生を照らし合わせて歩み寄らなければならない。そんな誰もが恋愛中に一度はぶつかったことのある壁が、本作の一大テーマになっている。
その点では、あまりにも対照的な背景を持つホアとマチューの「歩み寄る」という壁は、それはそれは高いように感じる。傍から見れば、無謀すぎる恋だが、私はホアを愚かだとは感じなかった。
自分の身の上や現在の立場が、人を恋愛から遠ざけることがある。そんな時、人は純粋に男と女というだけで求め合えたらと願うものだ。だからこそ、目前のセックスに翻弄されながらも、違いを越えてマチューへの思いを貫こうとするホアに、憧れを抱いてしまう。一体誰が、彼女を非難できるだろうかとすら思う。
事実、異なる国籍や生き方、愛と性欲の狭間でゆらゆらと“ただよう”ホアは、実に美しく映されている。はかない恋愛をしている女の美しさをすくい取っているかのようだ。
恋愛において「わたしたちは違いすぎる」ことは、確かに決定的な別れの原因となる。けれど私たちの深層には、「そんな脆い愛でも、ずっと抱きかかえていたい」という願望がある。そう思える相手を見つけるために、ホアは北京とパリ、人々の間で必死にたゆたっているのかもしれない。彼女は、唯一無二の愛を渇望する私たちの心を代弁しているのだ。
(いしいのりえ)
『パリ、ただよう花』
渋谷アップリンク、新宿K’s CINEMAほか全国順次公開中
監督・脚本:ロウ・イエ/脚本:リウ・ジエ/撮影:ユー・リクウァイ/出演:コリーヌ・ヤン、タハール・ラヒム(仏・中国/2011年/105分)
・公式サイト