夫の愛人2人と同居、女4人を毒殺未遂――“語られない”女性死刑囚・杉村サダメ
世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。
[第18回]
女性連続毒殺魔事件
昭和35年(1960年)。南国といわれる九州でも霜が降りるなど、師走に入り寒い日が続いていたという。そんな同年12月28日、熊本市長谷町に住む奥村キヨノ(51)が不審な死を遂げた。
キヨノは服類を扱う行商人だったが、この日、市内の高江町に住む杉村サダメ(48)の家に行商に行っていた。サダメとは、これまで何度か買ってもらっていた顔なじみであり、この際キヨノは夫を同行させていた。家ではサダメの内縁の夫も加わり、2夫婦4人で商品を見ながら雑談をしていた。その際キヨノは、サダメに勧められて納豆を食べた。そして直後、突然苦しみだす。仰天した男たちが医師を呼んだが、時既に遅くキヨノは絶命してしまったのだ。医師は「延髄球マヒ」での病死と判断した。目の前で妻を失くしたキヨノの夫にしても、当初は病死だということを疑うこともなかったという。
しかし同日、駐在所の巡査がキヨノが死亡したことを聞きつけたことで、事態は急転する。というのも、この1カ月ほどの間にサダメの周囲では2人の女性が死亡しており、加えてもう1人、別の女性が重篤症状を発症し、植物状態になっていたからだ。巡査からの報告を受けた地元・川尻署では、この時点で既にサダメの周辺を内偵していた。そのためキヨノの死亡翌日にはサダメは任意同行され、同日夜に強盗殺人及び未遂で逮捕されることになる。
■問題の絶えなかった結婚生活
サダメは明治44年(1911)に生まれ、19歳になった昭和5年(1930)にトビ職人だった登と結婚した。当時は珍しい恋愛結婚で、翌年には長女が生まれている。
しかし結婚生活は平穏なものではなかった。登は大酒飲みで、女にも目がなかった。結婚して10年もたつと登は愛人2人とその連れ子たちを同居させてしまう。妻妾同居という異常な生活――。これに対しサダメは時に離婚を持ち出すなど、大きな不満を漏らしたが、登はそれを許すどころか、殴る蹴るの暴力を振るったという。
そんなストレスから、サダメは昭和27年に子宮を摘出する病魔に襲われる。だが翌28年、サダメではなく夫の登がメチルアルコール中毒で死亡してしまうのだ。当時、サダメの1人娘は婿養子をとっており、登の死後は、サダメと娘夫婦という平穏な生活が始まったかに見えた。だが夫が死亡した1年後、サダメに愛人ができるのだ。
愛人は乳酸飲料の配達員をしている男で、夫と違い暴力などは振るわない「優しい男」だったという。昭和31~32年頃には、男はサダメの家で同居を始める。そのため娘夫婦は近くに引っ越していった。しかし、この愛人の存在こそがサダメの犯行の原因になったともいわれているのだ。
当時、男には妻がいて、地元国立大に通う次男もいた。そんな家庭の事情から、男は離婚することもできず、生活費や学費を妻子に送らざるを得なかった。男の1万8,000円ほどの月収は全て妻子に仕送りされていたため、サダメとの生活は困窮していたという。そのためサダメは男との生活を維持するため借金を重ね、その返済のために、4人もの女性を殺害し、金を奪おうとしたというのだ。