『美容整形と<普通のわたし>』著者インタビュー(後編)

「整形リピーター」はなぜ生まれる? 「若く美しく」で自縄自縛する女たちの心理

2013/12/15 16:00

――一見、タブーから解き放たれたように見える美容整形ですが、最近ネット上では「整形中毒者」「整形依存による顔面崩壊」といった美容整形の闇がよく語られるようになりました。本書でも、「『生まれ変わった』と実感しても、『整形リピーター』になる可能性は常にある」と指摘されています。理想の顔になって生まれ変わったのに、また整形を繰り返すのは、矛盾しているように思えますが。

川添 美容整形を経験して、メスを入れることへのハードルが下がり、例えば自分は「普通じゃない」といった身体的な制約から自由になる可能性はありますが、同時に、美への目標も上がって、ほかのところも整形したくなるということも考えられます。つまり、美容整形で過去の身体、過去の自分と決別し、「生まれ変わった」と実感しても、常に“よりよいわたし”を追い求めてしまうわけです。これは、美容整形を受ける人特有の思考というより、近・現代社会における個人主義や身体観からきています。

――「近・現代社会における個人主義」というのを、噛み砕いて教えてください。

川添 近代よりも前の社会(および近代西欧以外の社会)では、「私がどう生きたいか、どういう役割をするか」よりも、例えば村の中で役割がすでに決められていて、それに従って生きていきます。しかし、近代西欧社会では、個人はほかの人とは違う唯一無二の存在となり、“わたし”に生き方の選択の自由が生まれたのです。

――そういった時代の移り変わりによって、自ら美容整形で“よりよいわたし”になることを選択できる世の中になったのは、よい傾向のように思えますが。


川添 しかしこのような社会では、自分の身体も個人の責任において監視し、反省し、対処しなければなりません。勉強や仕事だけでなく、自身の身体状態までも「本人が頑張れば未来はよくなる。よくならないのは、本人にやる気がないから」とみなされ、個人が全ての結果責任を負う仕組みになっているのです。

 美容整形に関しても「自分の意志で選択したのだから、その責任も個人が取る」と考える人が多いです。身体を美しく、健康に、若々しくすると宣伝する商品やサービスは美容整形以外にも沢山ありますから、人はイヤでも自分の身体状態への関心をもつようになる。「健康のために若々しくあらねば」「身体的コンプレックスがあると能力が発揮できないから、解消しなければ」という欲望が生まれることにも関係しています。

『美容整形と<普通のわたし>(青弓社ライブラリー)』