サイゾーウーマンカルチャーインタビュー整形リピーターが生まれる社会の背景 カルチャー 『美容整形と<普通のわたし>』著者インタビュー(後編) 「整形リピーター」はなぜ生まれる? 「若く美しく」で自縄自縛する女たちの心理 2013/12/15 16:00 インタビュー川添裕子美容整形と<普通のわたし> Photo by reynardkarman from Flickr (前編はこちら) 人間は古くから身体を理想の形へと加工して生きてきた。その延長線上に美容整形があると捉え、美容整形と身体について論考した『美容整形と<普通のわたし>』(青弓社)の著者・川添裕子氏のインタビュー。「普通になりたい」「普通の外見だったら幸せになれるのに」と願う根底にあるもの、そして美容整形経験者が「整形リピーター」になる心理的過程について迫る。 ――【前編】でも語られましたが、日本では「普通になりたい」と美容整形を受ける人が案外多い。この「普通」とは、一体何でしょうか。 川添裕子氏(以下、川添) 「普通」という語は、日常的に良く使われています。ですからなんとなく共有されている概念ですが、具体的に「普通とはコレコレこういうものだ」といえるものものではありません。ちなみに国語辞典には「特に変わっていない」「ありふれている」、「当たり前」、「一般」などと記載されています。日本では「普通」が肯定的に捉えられる傾向もあります。たとえば韓国では「普通(ポ‐トン)」が日常で強調されることはあまりありませんが、日本では「普通でいいじゃない」とか「普通が一番」とよく言われます。言われた方も「そうかもしれない」と、どこか納得するところがありますよね。 ――一方で、現在は個性的であれとして、「普通じゃダメ」とも言われています。 川添 趣味も多様化し、広く人々の間に共有されるような「普通」感覚はなくなってきていると言えるかもしれません。こうした変化の中、数値やビジュアルで示される標準値や平均値、図像などへの信頼度は高まっているのですが、「普通」とは、ある数値やある特定の体型に同一視されるような実体ではなく、「人々の拠り所になる面」と「曖昧で、いわば幻想とでもいえるような面」がある概念なのです。また、インターネットで同じ趣味を持つ人と簡単につながれるようになり、小さなコミュニティが無数にできたことから、その中だけで通用する「普通」感覚もあるかもしれません。 ――確かに、現代は一見多様性があるように見えて、実際は小規模コミュニティの価値観の中にしばられているという面はありますね。本書の調査は10年前に行われていますが、日本の美容整形観はこの10年間で変化したという実感はありますか。 川添 2000年前後から一般の人にもインターネットが普及し、美容整形の情報や体験談が簡単に手に入るようになりました。そのおかげで、匿名でいくらでも情報収集でき、美容整形をしやすい状況が整いました。また、90年代は「身体髪膚、これを父母に受く」といって「親からもらった体を傷つけるなんてとんでもない」という言及がメディアや患者さんや医師にもありましたが、今はあまり問題にされません。当時、「親からもらった体を傷つけるなんて」と言っていた世代も、今やプチ整形でアンチエイジングをしているわけですから、ここ10年あまりでだいぶ変わりましたね。 患者さん、一般の人たちだけでなく、医療側も変化しています。美容外科は今もマイナーな分野であることには変わりがないのですが、かつては「美容整形は医療といえるのか」という議論があるくらいタブー視されていました。しかし、医療費がかさみ健康保険財政が苦しい今日では、予防医療や美容整形を含むアンチエイジング全般などの自由診療は、日本の医療政策の活路の1つでもあります。自由診療は医療者が治療費を設定できますから、病院経営からみてもうま味があります。例えば美容皮膚科を設けている皮膚科も増えましたし、今は大学病院にも美容外科があります。 123次のページ Amazon 『美容整形と<普通のわたし>(青弓社ライブラリー)』 関連記事 若さ、美貌、絶望と達観……『ヘルタースケルター』が突きつける“女の十字架”「穴さえあれば女なんだ」、作家・花房観音が劣等感の末に見出した真実「ブスを笑いたい」「乱暴にせまられたい」、酒井順子が女の欲望を読み解く早稲女(ワセジョ)に見る「優れている人の方が自虐的で迷走してる」という病「東京は希望」「東京には何もない」山内マリコ×中條寿子の女子と地方