畠山鈴香はモンスターなのか? 事件性だけが消費され、解明されない“心の闇”
■置き去りにされた、鈴香の人格解明
一審判決後、検察、弁護側共に控訴し、08年9月に控訴審が開かれた。そしてここでも証拠採用はされなかったものの、臨床心理士による意見書が存在した。それによれば、鈴香は他者の気持ちを推察する能力が低く、依存傾向が強い。真実を語らないのは人格障害から「語れない」のであって、彩香ちゃん事件も強烈なショックから解離性健忘に陥っていた、という本鑑定と類似点も多いものだった。
また控訴審で部分的に採用された精神科医の意見書もある。鈴香の一貫性のなさは、場当たり的で暗示にかかりやすいことが原因で、健忘は無意識的な防御であり、“願望”も相まって段階的に進んだというものだった。そして攻撃性についても否定的で、「自己顕示性や演技性人格障害、反社会性人格障害の傾向も無い。ただ社会規範意識は低い」として解離性障害と広汎性発達障害を認めている。
「秋田県連続児童殺害事件」を解明するには、鈴香の犯行動機、性格、人格障害、そして「健忘」についての論考が必要だったはずだ。しかし前出の臨床心理士が「健忘の議論があまりに少なすぎる。やるべきことをやっていない」と批判したように、それは十分とはいい難く、裁判という制度の中では、鈴香の“心の闇”が解明されることはなかったのだ。
どのように彩香ちゃんは橋から落ちたのか、なぜ豪憲くんは殺されなければならなかったのか。
いくつかの文献や裁判資料を読んでも、鈴香は卑怯で浅はかで、だらしない女だと思う。自分の意見を持たず、周囲に流される。コミュニケーション能力に欠け、人の気持ちを察することもできない。良かれと思いした行動が裏目にばかり出る。気を許した一部の身内には高圧的にもなりキレもする。もし近くにいたら困った人であり、ムッとしてイライラさせられるだろう。
しかし、育児を完全に放棄したり虐待していたわけではない。子どもとの接し方がわからない。それどころか自分のことさえわからない。我が子を可愛がったり、疎んじたりの繰り返しで、父親からの暴力やいじめから自尊心が持ちづらい。身近に相談する人も少ない。男を見る目もない。感情のコントロールがうまくいかない。それらに苦しむ姿が浮かび上がってくる。
彩香ちゃんへの複雑な思い、健忘は理解しようと努力するも、しかし豪憲くんの殺害はどうしても理解することはできない。そもそも自分が疑われていた状態で、豪憲くんを殺せば、さらに疑いは強まるはずで、現実にもそうなった。「彩香がいないのに元気な豪憲くんに切なくなり嫉妬した」「彩香と仲のよかった豪憲を彼女の元に送りたかった」などいくつかの言説、言い訳があるが、それは受け入れ難いものだ。
いびつな性格、歪んだ精神状態。なぜ彼女は分水嶺を超えたのか。鈴香は矯正不能で理解できないモンスターなのか。しかしその問いは現状の裁判システムでは解明できないものだとも思う。
いじめ、DV、母娘の依存、シングルマザー、貧困、差別、精神障害といった現代が抱える病理を一身に背負っていた鈴香。再びこうした悲惨な事件が起こらないようにするには、どうしたらいいのか。高裁で無期懲役が確定した鈴香は、まだ私たち世間の手の届くところにいる。今後のさらなる“心”の解明も、また本当の意味での“反省”も不可能ではない。
(取材・文/神林広恵)
参照:
『橋の上の「殺意」-畠山鈴香はどう裁かれたか』(鎌田慧 講談社文庫)
『秋田連続児童殺害事件-法廷ライブ』(産経新聞社会部、産経新聞出版)
『検証秋田「連続」児童殺人事件』(北羽新報社編集局報道部、無明舎出版)