原発地帯の老人ホーム、そこで働く20代職員はヒロインで“美談”か?
私ごとで恐縮だが、美容院に行った。施術の間は、老眼鏡がかけられない。老眼の女性は、パーマとかカラーにかかる3時間という長丁場、何をしているんだろう? 雑誌の写真やイラストだけを眺めている? 見栄を張って裸眼で女性誌を読みまくっていたら、目が疲れました。年を取ると、美容院に行くのも大変。
<登場人物プロフィール>
渡辺 雅子(57)福島県在住。パート勤務。夫、二女と3人暮らし。長女は東京在住
渡辺 舞(27)雅子の二女。福島県の老人ホームで介護スタッフとして働く
■ホームを辞めて一緒に避難しようと説得した
渡辺雅子さんの自宅は、福島第一原発から直線距離にして50キロ。東日本大震災に伴う原発事故から2年半が過ぎ、表面上は落ち着いたように見える。雅子さんの二女・舞さんは自宅近くの老人ホームに勤務している。いくつかの施設で勤務したが、今のホームは比較的待遇もよく、楽しく働いているようだという。
「もともとおばあちゃん子で、亡くなった主人の母のことが大好きでした。老人介護の仕事をしようと思ったのも、おばあちゃんとの関係が影響していると思います。今は介護福祉士の資格も取って、親の目から見ても頑張っているなと思いますね。震災の時もホームで勤務していました。沿岸部ではないので津波の心配はなかったのですが、室内は荷物が散乱し、ライフラインも止まってしまったので、お年寄りをいったん近くの小学校に避難させるなど、大変だったようです」
震災以来ずっと泊まり込みで働く舞さんの体を案じてはいたが、当初はさほど切迫感はなかったと雅子さんは言う。しかしその数日後、原発が爆発すると事態は一転する。
「原発から50キロ離れているとはいえ、これからどうなるのか予断を許さない状況でした。私たちも、東京にいる長女のところに避難することにしたんです。でも舞のホームは、お年寄りには移動するリスクの方が大きいと、お年寄りを避難させないことに決めたというんです。お年寄りはそれでいいかもしれませんが、若い職員のことはどうでもいいと思っているとしか思えません。舞は、まだ20代。仕事より命が大切に決まってます。ホーム側だって、無理に引き留めはしないだろうし、引き留められたって辞めればいい。介護の仕事なんていくらでもあるんですから。とにかく、家に一度帰ってくるように電話で説得しました」
■「お年寄りはもう十分生きた。若い娘が命をかけることはない」
さすがに疲れていたのか、着替えを取りに来たと言って、舞さんはいったん帰宅した。雅子さん夫婦は、一緒に東京に避難することを強く勧めたが、舞さんは頑として首を縦に振らなかった。
「『私には、待っていてくれるお年寄りを守る責任がある』って言うんです。その人たちを置いて逃げるなんてことはできないって。私も、はっきり言いましたよ。『お年寄りはもう十分生きたじゃない。あなた1人いなくなったって、誰も責めない。お年寄りの家族だって、そうまでして守ってほしいなんて思っていない。あなたには、まだ未来がある。20代のあなたが命をかけることはない』って」
雅子さん親子は、泣きながら言い合ったという。しかし、舞さんの決意は変わらなかった。雅子さん夫婦は、長女の「2人だけでもいいから、東京に避難してほしい」という要請を受け入れて、夫婦だけで長女宅に向かった。
「でも、舞を1人残している後ろめたさがあって、東京にいても毎日気が気じゃありません。それで、すぐにまた福島に戻ることにしたんです。娘が福島に残っているのに、親がのうのうと避難先で暮らすわけにもいかないでしょう。うちの周辺も、放射線量は低くありません。将来への不安は、もちろん大きいです。私たちはもう50代だから、いずれ何かの病気になって死ぬし、それがちょっと早くても、もうあきらめはつく。でもねぇ、舞はまだ若いのに、私たちよりももっと先のないお年寄りの命を守った挙げ句、放射能の影響が出たら……私はホームを恨みます。お客さまを第一に考えています、なんて広告に謳っているのは、舞のような若い職員の犠牲の上にあるのか、って言いたいですよ」
雅子さんが憤りを感じるのは、それだけではない。ホームは、系列の会社が全国にあるという。物資の少なくなったホームに、全国の系列会社から物資を集めて送り込んだのだ。
「舞は『うちの会社の機動力はすごい』って手放しで自慢していましたが、私にしてみれば疑問だらけですよ。困っているのは舞のホームだけじゃないのに、自分のところのお客さんだけ不自由しなければいい、みたいな傲慢さを感じてしょうがないんです。全国に系列の会社があるというんなら、なおさら、舞みたいに若い職員は避難させるとか、お客さんだけでなくて職員を守ってくれてもよかったんじゃないかと思えてしょうがない。そりゃあ、お年寄りを見殺しにできないという気持ちは、頭ではよくわかっているんです。でも親としては、やっぱりなんでうちの娘が犠牲にならないといけなかったのかと思う。私の心が狭いですか?」
今は、雅子さんの周囲でもあまり放射線の心配を口にする人はいないという。雅子さん一家も舞さんのホームも、平穏な日常が戻ったように見える。しかし、今でも「介護とはどうあるべきか」などという言葉を聞くと憤りを感じるという雅子さん。単に「逃げずに原発事故に立ち向かった」という美談で終わらせてはいけない。