「婦人公論」の“自信を持つ”特集、林真理子と押切もえの両極端すぎる提唱者
今号の「婦人公論」(中央公論新社)はかなりの盛りだくさん。嵐の東京ドームイベントレポ目当てでお買い上げになったファンのみなさま、嵐以外のページも相当面白いですよ! メンバーの王子な姿にキュンキュンした後に読む、「緊急特集担当“死刑判決の女たち”は今」はスリリングな高低差。永六輔の含蓄ある終活トークもオススメです。しかしながら、「日本を代表するスーパーアイドル」と「死」が並列で語られる、これぞ「婦人公論」ですね。櫻井翔も永六輔も木嶋佳苗も、“興味深いもの”という観点で同じくくりにしてしまう。「婦人公論」の雑食感にこそ女の真実があるような気がするのです。さてさて今号の特集は「自分に自信を持てば、人生はラクになる」。「婦人公論」のいう“自信”とは一体どんなものなのでしょうか。早速中身を拝見しましょう。
<トピックス>
◎林真理子「『たら』ではなく『みたら』の人生を」
◎ルポ コンプレックス地獄から抜け出せる日はいつ?
◎押切もえ「落ちこぼれモデルの経験も全部さらけだして」
■日本イチ謙遜しない主婦・林真理子
この特集の冒頭に登場するのは、長年女の欲望を可視化してきた作家の林真理子。新書『野心のすすめ』(講談社)は43万部を突破する大ヒットを記録、現在何度目かの「林真理子ブーム」を巻き起こしています。林先生いわく、華やかかりしバブルも林真理子の大ブレイクも知らない20~30代の女性たちがこのブームを支えているのだそう。成り上がりたいという欲望を見て見ぬふりしてきたこの世代にとっては、毎夜のように豪華なパーティーに出席し、ディナーを頬張り、オペラを観劇して、海外旅行に出かける林真理子の生き方は、ただひたすらまぶしく映るのでありましょうか。
インタビューでは「婦人公論」読者に対し、「自分に自信を持つためにはどうすべきか」のアドバイスが中心になっていますが、ご自身を語る上でやたらと強調しているのが「自分はイチ主婦である」というスタンス。「今朝も5時に起きて、夫と娘のお弁当を作り、渋谷のNHKスタジオで生放送に臨んだのですけれど、出かける直前になって夫が『そんな話は聞いてない!』と言い出して」「華やかなブログの裏側では、夫の顔色を窺い、口の減らない娘にストレスを募らせながら食事を用意。文学賞のパーティーに出ても、帰宅時間をきにしつつ、一次会もそこそこに慌てて帰宅、と窮屈な思いをしているのです」。仕事か家庭か、二者択一を迫られれ泣く泣くどちらかを手放した女性が多かった時代に、その両方を手に入れた林先生。「直木賞をはじめ文壇での地位も、夫も子どもも豪邸も手に入れ、『欲張りな女』だと長い間いわれ続けてきましたけど」と自分で言っちゃう林先生。とにかく先生にとって「イチ主婦である」ということは大きな意味を持っているようです。
これを「ガンガン稼いでる林先生でさえ、主婦としての生き方を求められるというこの息苦しさ」と捉えるか、同世代フェミニストたちへの当てつけとみるか、専業主婦もまだまだ多い「婦人公論」読者たちへのリップサービスと考えるか、またはその全てか。賢い先生のこと、日本における「主婦」という言葉の汎用性の高さを嫌というほどわかっていて、だからこそお金で解決できそうな主婦領域も敢えてアウトソーシングしないのかもしれませんね。それはビジネスのためでもあり、長い間自分を叩いてきた世間への復讐でもあり。「夫や娘の顔色をうかがいながらパーティーに出かける」なんて、聞きようによっては自虐に名を借りた自慢でしかありませんから。
■日本イチ自分を磨く女・押切もえ
コンプレックスを克服し、健全なる野心で人気作家としての地位を築いてきた林真理子先生に続きまして、登場するのはこの人。現在自分を磨かせたら右に出るものはいない、モデルの押切もえです。その名も「落ちこぼれモデルの経験も全部さらけだして」。タイトルだけでなんとなく内容が察知できてしまいますが、気づいてないフリで読み進めましょう。そして案の定、想像通りの内容です。
このタイミングで登場ということは、もちろん処女作『浅き夢見し』(小学館)のプロモーションですが、この自己啓発特集にぴったりな、中身があるようでないようなうっとり自分語りがつづられています。落ちこぼれモデルだった自分が、仕事がなくて工場でケーキにイチゴを載せる日雇いバイトまでしながらダイエットに励み、懸命に売り込みをした結果、見事「CanCam」(同)の専属モデルの座を射止めたというお話です。ダメだった頃の自分は常に努力が足りなかった、と振り返るもえ。「うまくいかないのを人や環境のせいにして、自分自身は努力することを怠っていたのです」「実は嫌なことが起きたときって、自分にも原因がある場合が多いのですよね。(中略)周囲への思いやりに欠けていたり、相手に勘違いされるような言動をしていたり」。
そして今回の小説。「前向きに生きていれば、必ず道は開ける。この作品には、そんなメッセージを込めたつもりです」とのことで、ここまでくるともはや前向き地獄。またここにも「担当編集者からは何度も書き直しを命じられました。心が折れそうになったのも一度や二度ではありません」という涙なくして語れない苦労秘話が散りばめられており、「挫折→努力→成功→いや私なんてまだまだ」という押切式無限ループにハマってしまうこと間違いなしでしょう。
林真理子が仕事と家庭、そして財を自らの腕で掴み取り、そのことに関しては別段の躊躇や謙遜を持たない一方で、押切もえはその成功に「努力」や「自分磨き」という物語と言いわけを付与しようとする、この違いは世代によるものが大きいのではないかと思います。というのも、大小さまざまなメディアに囲まれた現代において求められいるのは、他人をぶっちぎって得られる自信ではなく、他人との目配せの中から生まれてくる「了解」に近いものだからです。Facebookの「いいね!」を気にしたり、Twitterでエゴサーチを繰り返したり。謙虚なようで、実は自己愛が肥大してモンスター化してるとも言えますが、そういった時代に林真理子が再ブレイクするというのも皮肉というか必然というか。ますます混迷を極める「自信探し」ですが、もしかしたらそこから手を引くことこそが自己肯定なのかも。
(西澤千央)