ウブな高校生カップルに神経が参る! 『ハツカレ』の途方もないドキドキ感の理由
しかし、ハシモトくんとチロは違う。この2人には、そんなシリアスな状況はやってこない。なぜなら、1巻から10巻まで、まったくというほど、2人が深く心を通わせることがないのである。なにかすごい事件があって傷ついたりとか、相手の傷に触れて理解が深まったりとか、心の機微とでもいうのかしら? そういったこともなく最初っから最後まで、安定の「いい人ハシモト」と、「赤ら顔チロ」なのだ 。読者は激しく何かに心を揺さぶれることもなく、おだやか〜に『ハツカレ』を読み進められるのである。
人との付き合いには段階がある。出会って、行き違いによってぶつかり、すれ違い、それを解決することで相手を知る――、そんな山あり谷ありの末、別れるか、乗り越えるかを選択するものだ。一度困難を乗り越えたら、以前はもめたような小さなことでは揺らがなくなる。それはつまり、より深い信頼関係を築けたということだが、残念ながら、恋が始まった時のドキドキ感はなくなってしまう。
『ハツカレ』を読んでいると、「恋愛は、付き合うか付き合わないかくらいが一番楽しい」とかいう定説を思い出す。でもそれは、セックスもまだ、結婚だ浮気だという状況もまだで、2人の関係について利害関係がなく、シリアスに思い悩むことがないからなのだ。
ハシモトくんがチロを自宅に呼んだ時、成り行きでちゃーちゃんとイブシが来ることになってしまっても、いい人ハシモトは、焦りもせず怒りもせず。お前、血気盛んな男子高生が、彼女を自宅に呼んだら目的は1つじゃないのか! 期待でパンツの中はもうぱんぱんにふくれあがってるはずじゃあないのか? のんびり屋さんにもほどがあるだろう。
付き合いが続いていくうちに、男女が向き合わなければいけないいくつもの壁が、彼らにはやってこないのである。付き合いが続いたら迎えるべきこの関門が来ない、というか迎えるそぶりもない。だから、毎朝一緒に通学してるにもかかわらず、1年以上もお互いドキドキして顔を赤らめてる。この2人、そんな「お付き合い未満」な状態を延々続けてるのである。そりゃー楽しいわ!
しかし、ハシモトがチロを好きになったきっかけが、「なんとなく顔がかわいかった」程度っぽいので、その先も、深くお互いを掘り下げる必要がなかったのでしょう(少女漫画によくある恋のきっかけは、いじめられっ子を助けたとか、動物をいたわったとか、相手の優しさを垣間見て好きになったというようなエピソードですが)。
相手に対して「順応」が発生しないという、希有なカップルの物語。ドキドキが延々と続くといういわばストレスにまみれた状態で、主人公たちの神経が参っちゃわないかと心配になりますが、『ハツカレ』は10巻ほどそんな状態が続きます。もう、こういうピュアなドキドキを楽しめない、ドス黒い自分の心が淋しくなりました。
■メイ作判定
名作:メイ作=4:6
和久井香菜子(わくい・かなこ)
ライター・イラストレーター、少女漫画研究家。『少女マンガで読み解く 乙女心のツボ』(カンゼン)が好評発売中。ネットゲーム『養殖中華屋さん』の企画をはじめ、語学テキストやテニス雑誌、ビジネス本まで幅広いジャンルで書き散らす。街で見かけたおかしな英文から英語を学ぶ「Henglish」主宰。