「結婚して主婦」の常識の下に消えた、「上尾主婦レズビアン殺人」の女囚人
■自由になっていく性の選択肢
その後の警察の取調べで、犯行動機がレズビアン関係にあったことが判明、マスコミも好奇の目でこれを大きく取り上げていった。佳子は取り調べで、「別れ話が持ち上がってからも、力ずくで復縁を迫ろうとしたが『愛が性行為中に燃えなかった』」「男にはこの気持ちはわからない」などと語ったことも、それに拍車をかけた。だが、マスコミの論調は「妻が同性愛にふけっていのに、何もしらなかった夫が不憫」というものが多いことに驚く(といいながら夫を嘲ってもいるのだが)。ただ、佳子の夫は妻の行状をうすうす知っていたが黙認していたようだ。自分に愛人がいたから都合がよかったのだろうか。その後、佳子の夫は愛人と共に子どもたちを引き取り、まるで本当の親子のように暮らしたという。
昭和52年の前年には、レズビアンのミニコミ誌が初めて発行されている。とはいえ同性愛など到底理解されるはずもない時代であった。人気歌手だった佐良直美にレズビアン疑惑が浮上し、大スキャンダルになったのは、事件から3年後の昭和55年。しかも、当時は現在より早婚であり、結婚すると家庭の主婦になるというのが多数派だった時代だ。
昨年、筆者はレズビアンに関する取材をする機会があったが、同性愛者だと自覚した彼女たちは結婚することなく仕事を持ち自立していた。レズビアンであることをカムアウトし、レズバーなどで働いている人もいる。それができる時代となったのだ。しかし、そうした選択肢は佳子や愛にはなかった。愛を絶対無二の存在として執着していた佳子にとって、別れなど論外だったことは想像に難くない。「愛に去られたら、自分の人生、命はお終いだ」と。愛にとって同性愛はほんの気の迷い、遊びだったのかもしれない。しかし佳子は違った。思い詰めた上の凶行――。
この上尾レズ殺人事件を契機としたように、レズビアンをめぐる事件は2人の関係を悲観した「心中」から、「痴情のもつれによる殺人」や「邪魔になった夫殺し」に大きく舵を切っていく。ここ最近で有名なのが2005年、41歳だった女性が同性愛関係の39歳の女性を殺した「五反田レズビアン事件」だろう。逃げた女は指名手配され2年近くの逃亡の末、都内健康ランドで逮捕された。41歳女は被害者から性病を移され、また被害者が浮気をしたことから激昂し、殺害したのだ。しかし41歳女は逃亡中も被害者の写真を肌身離さず所持していた。また、99年の看護士4人による夫殺害事件も、主犯の吉田純子が同性愛関係にあった女性を利用し、その夫を殺害させた。11年、茨城でも夫を殺害したとして妻が逮捕されたが、共犯として逮捕された知人女性と妻との同性愛関係がうわさされている。
これら事件を見ると、女性の性は佳子の時代よりも自由になったともいえる。同性愛に対しても自覚的となり、また世間の認知も進んでいる。彼女たちの生き方もさまざまな選択が可能となった。犯罪も多様化するのも当然だろう。しかし、現在でもレズビアンたちは多くの困難を抱えていることには違いない。取材で出会ったレズビアンの1人がこんなことを語っていたのが印象的だった。「ビアンだということは親しい友人にしか話していない。カムアウトすればおじさんからの好奇の目やセクハラの対象にされるだけ。よく言われるのが『俺も今度交ぜて(笑)』だもの。だから普通に静かに暮らしたい。理解してくれなくてもいい。ただそっとしておいてほしい」。
(取材・文/神林広恵)