「介護を助けてあげようなんて10年早かった」単身赴任で実家に戻った息子の後悔
最近、夜中に蚊の飛ぶ音で悩まされることがなくなった。足元は蚊に刺されているが、顔周りには飛んでないんだなー、と思っていたのだが……単に「ブーン」という音が聞こえなくなっていただけだったことが判明! 年を取ると、高い音が聞こえないっていうアレです。確かに本物のモスキート音だからな。安眠できる幸せを喜ぶべきか。
<登場人物プロフィール>
河本 佳則(46)妻と子どもを東京に残し、実家のある東北地方に単身赴任中
河本 佳美(45)佳則の妻。東京在住
河本 淳子(75)佳則の母。東北在住。15年間、浩一を介護している
河本 勤(77)佳則の父
河本 浩一(50)佳則の兄。15年前の事故で、介護が必要な状態に
■片道切符の出向扱い。単身赴任で実家に戻る決心
河本さんは、東京に妻子を残し、単身赴任中だ。赴任先は河本さんの出身地なので、実家で両親、兄と暮らしている。単身赴任とはいえ、実家で暮らしているのなら気楽だろうと思われるだろうが、そうではない。転勤と書いたが、正確には関連会社への出向。もう東京の本社に戻ることはない。それも河本さんが自ら、出向を希望したのだという。まだ46歳。東京の本社は、誰もが知っている大企業だ。いったい、なぜ?
「兄が15年前に事故に遭い、ほぼ寝たきりの状態になりました。それ以来、自宅で介護を受けながら生活しているんです。デイサービスとヘルパーを利用してはいますが、父も高齢になり、母の負担が年々大きくなっていました。施設にお願いしたらどうかと言っても、両親は嫌がるんです。ずっとどうにかしなくてはと思っていたんですが、実家の近くにある関連会社の社長が理解ある人で、出向扱いだけれども、本社と同じくらいの給料も保証すると言ってくれたので決心したんです」
家族の反対も特になかったという。大学生と高校生の息子たちは、父親を必要とする年頃でもなかったし、妻もパートで忙しくしている。夫の単身赴任は、妻子にとっては喜ばしいことだったようだ。
■実家にも東京にも居場所がなかった
ところが勇んで実家に戻った河本さんは、次第に居心地の悪い思いをするようになった。「自分が両親の負担を軽くしてやるんだ、と気負いすぎていたのかもしれません。両親と兄の生活はリズムができていて、僕が手を出してもリズムを狂わせるだけでした。兄も僕には遠慮があるようで、体調を崩すことが増えたてしまったんです。考えてみれば、実家で親と生活するのは大学時代以来25年ぶりなんですよね。年に1~2回帰省するのとは訳が違った。大人の僕が親の家で暮らすことが、こんなに互いにストレスを感じるとは思ってもみませんでした」と河本さんはため息をつく。
出向先に理解があるとはいえ、職場に迷惑はかけたくないと、残業や休日出勤もいとわなかった。遅く帰ると、夜の早い両親を起こさないようにと気を使った。飲んで帰るのもなんとなくはばかられたし、かといって、家でもゆっくりくつろげない。両親の兄への介護のやり方にも疑問を感じて、ぶつかることも多くなった。逃げ出すように、毎週末東京の家族の元に戻るようになるまで時間はかからなかった。
「でもね、僕がいない生活に家族が慣れるのは早かった」と河本さんは苦笑する。
「受験でイライラしていることもあるのか、僕が帰ると次男は明らかに迷惑そうなんです。進路について話をしようとしても、『お父さんは自分が勝手におばあちゃんとこに戻ったくせに、偉そうに口だけ出さないでほしい』と言われてしまいました。よかれと思ってした僕の行動は、結局誰にとってもありがた迷惑だったんでしょうか。まさか実家にも、東京にも居場所がなくなるとはね」
そもそも、実家に単身赴任しようと思うくらい律義に自分を追い込むタイプなのだ。河本さんは、最近うつと診断されたという。
「せっかくいい条件で出向を提示してくれた今の会社には、本当に申し訳なく思っています。弱い自分が情けなくて。妻が『あなたは頑張りすぎるんだから、家でゆっくりするのもいいんじゃない?』と言ってくれたので、しばらく休職して東京の家族の元で休もうかと思っています。うつの自分が実家にいては、ますます両親の負担が増えてしまいますから。両親を助けてあげようなんて10年早かったですね。まずは自分が元気になってから、今後のことを考えようと思っています」
とかく、男の介護は頑張りすぎるもの。妻はこうなることを予想していたのかもしれない、とふと思った。息子も、そんな父親を受け入れてくれればいいのだが。