カルチャー
瀧波ユカリ『女もたけなわ』ブックレビュー

瀧波ユカリ『女もたけなわ』に潜む、女を不自由にする「オヤジ的価値観」の正体

2013/08/02 19:00

 女性が会話において共感・共有を重視する「作法」を頑なに守るのは、立場や価値観の違いから、第三者から「女同士の対立」と呼ばれるような状況になるのを恐れるがゆえです。オヤジ視点を内面化しているからこそ、「敵を作りたくない」と過剰な平和主義に陥ってしまうのではないでしょうか。とするならば、自分をがんじがらめにする「オヤジ的価値観」=「女に対する固定観念」こそが、まさに瀧波氏がぶっ壊したいと考えている「壁」なのかもしれません。

 本書が、女性をがんじがらめにするオヤジ視点を内面化し、無自覚に「女同士の対立」の構図を再生産しているのは事実です。しかし、自分の中のオヤジ的価値観に屈せず、「女はコワイ」という揶揄も恐れずに生きていくという瀧波氏の誓いも、本書には確かに込められています。

 『臨死!!江古田ちゃん』において、主人公が匿名の存在=「江古田ちゃん」であり続けられるのは、彼女の時間が24歳で止まっており、就職や転職、結婚や出産、加齢や老後といった人生の問題に悩まされることがないからです。つまり、人生のわずらわしいあれこれが決して降りかかってこないからこそ、「江古田ちゃん」は世の中をナナメに見て周囲の人間にツッコミを入れる「傍観者」でい続けることができるのです。

 しかし当然、現実世界の「たけなわ」期の女性たちが、冷静沈着な「傍観者」ポジションを死守していてはつまらないですし、それはほぼ不可能なのではないでしょうか。だからこそやっぱり、「壁ぶっ壊せるように、がんばる」ことが必要なのかもしれません。

 そういった意味で、本書後半の「『デカ目』卒業宣言」という章には、「たけなわ」期の女性が、既成の価値観から解放されるためのヒントがあるように思います。ここでは、世間の「長い睫毛とアイメイクに縁どられた大きな目が良い」という風潮に乗っかっていた瀧波氏が、女性誌やテレビが作り上げたその価値観から脱却し、「デカ目」を卒業するに至る経緯が詳細に書かれています。自分ではない誰かが作り上げた価値観と、自分の理想の生き方の間で揺れ動きながらも、自分自身の答えを見出していく1人の「たけなわ」女性の姿がそこにはあります。
 
 本書を読み始めた当初、紙面から透けて見えるオヤジ目線に辟易したのは、筆者もどこかで「女はこうあるべき」という価値観を内面化しているからに他なりません。まるで、自分の嫌な一面を見せつけられたような気になったのです。本書は、「江古田ちゃん」ではあり続けられない、けれどオヤジ的価値観にも違和感を感じているという「たけなわ」女性に、さまざまな示唆を与えてくれるのではないでしょうか。
(早乙女ぐりこ)

最終更新:2013/08/02 19:00
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