カルチャー
[官能小説レビュー]

『人形』が描く、「母親の男」に恋をしてしまった女の末路とは?

2013/07/29 19:00
『M』/文藝春秋

■今回の官能小説
『人形』馳星周(『M』より、文藝春秋)

 相手を「好き」だと感じるピュアな心情。例えどんな相手であっても、その思いを受け止めてほしいと感じるはず。相手に触れたい。そして、大好きな相手に裸の自分を受け入れてもらいたい――恋をすると誰しもが、そんな思いを抱くはずだ。しかし時として、「好き」という感情は最も恐ろしい感情へと変化する。相手への思いが一方通行にしかならなかった時、「好き」という感情は歪みを生じ、自分でも制御が利かなくなってしまうのだ。

 今回ご紹介する馳星周の『M』(文藝春秋)は、愛や肉欲に翻弄され、背徳への道を転がり落ちてゆく男女が生々しく描かれている短篇集。中でも、就職活動中の女子大生の純粋な恋心を描いた「人形」は、心がひりつくほど痛々しく悲しい愛がつづられている。

 大学生の裕美には、幼い頃から憧れている人物がいた。それは、家族ぐるみで付き合いのあった隣人の達也パパ。裕美が産まれる前からの仲だったが、裕美の父親が亡くなった中学3年生の頃から、ご近所付き合いは減っていった。

 ある日、就職活動中の電車内で、達也と偶然の再会を果たした裕美。懐かしさからか、達也の後をつけてゆくと、達也は古ぼけたマンションの中へと入ってゆく。幼い頃から淡い恋心を抱いていた達也パパが出入りしていたマンションの一室は、売春クラブだった。
 
 達也の一人息子で、裕美の2つ年下の哲也とは、十代半ばの頃にセックスした仲だ。それはままごとの延長のような荒々しいセックスだったが、裕美の心は満たされていた。哲也との関係が終わったのは、愛撫をされている裕美が、ふいに口にした「達也パパ」の名だった。逆上した哲也は無理矢理裕美の口をこじ開けて口淫を強要する。殺意すら感じる哲也の行為に、裕美の意識はもうろうとする。畳み掛けるように、哲也は達也と裕美の母親との“関係”を暴露したのだ。

 突然の再会により、再び達也パパへの恋心が芽生えた裕美。先の見えない就職活動を続ける裕美にとって、一筋の光となったのが達也パパの存在だった。意を決し、裕美は達也の通っていた売春クラブに登録する。携帯電話が鳴り、見知らぬ男達と待ち合わせて、流されるままに身体を開き、大金を手に入れ、消費する。男に抱かれても、大金を得ても裕美の心は動かない。身体を弄ばれるたびに、裕美の心は空になり、まるで人形のようになっていった。相反して、達也への思いばかりが強大になっていく。 

 そして、ついに裕美は、売春クラブの客として、達也に出会うことになる。彼女が売春クラブに登録しつづける理由は、たった1つ。実の母親が彼に抱かれていたように、達也パパに抱かれたいということだけなのだ。
 
 好きだから、抱かれたい。裕美のひたむきな愛情が、彼女自身をじわじわとがんじがらめに縛り付ける様がよくわかる。達也への報われない愛情を昇華させる方法は“抱かれる”という選択肢しか浮かばなかったということなのだろう。

 そして、愛する達也が実の母を抱いていたという事実が裕美をさらに追い詰めたように思う。例えば、ライバルが同じ大学の女友達だったとしたら、裕美は真正面から戦うことができただろう。しかし実母がライバルという時点で、すでに裕美は“負け”なのだ。ライバルに手を引かれている小さな裕美は、達也の目に“隣人の、もしくは愛人の娘”にしか映らないのだから。裕美には “女”としてではなく別の方法で愛される方法もあったはず。しかし実母に対しての“女”としての嫉妬が高まり、性愛のしがらみに捕われてしまったのではないだろうか。

 女として産まれたからには、好きな男に愛されたい。愛される方法は無限にある。女として、友達として、子どもとして、人として、ペットとして。裕美のあまりの悲惨な姿に、愛する気持ちが変わらないのなら、ほかの愛され方を探すべきなのではないか、“血のつながらない娘”として、永遠に関係を保つこともできたのではないか……と。とすら思ってしまった。好きな男からの愛され方に折り合いをつけるのもまた、苦しいことには違いないけれど。
(いしいのりえ)

最終更新:2013/07/29 19:00
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