家庭内セックスは惰性なのか? 家族だからこその生々しい性愛を描いた『愛妻日記』
■今回の官能小説
『愛妻日記』重松清(講談社)
どんなに激しく愛しあった恋人も、入籍して結婚をすれば“家族”になる。同じ家へ帰り、同じ食事を食べ、共に眠る生活――そこには、かつて恋人同士として過ごしたロマンチックな時間とは異なる、安住の時間が流れる。
ではセックスはどうだろう? 家族同士のセックスは、「最上級の愛情表現」だったはずの恋人同士のそれとは質が違うのではないだろうか。家族同士のセックスは、セックスレスが立派な離婚の原因にもなってしまうことも考えると、惰性や義務の行為にもなりえてしまうのだ。「家族同士のセックス」という聞くと、反射的に目を背けたくなる人も多いだろう。真っ先に思い浮かぶのは、実の両親のその姿のはずだから。
1つ屋根の下で家族として暮らすようになった男女は、恋人同士だった過去の自分たちにどう折り合いをつけ、どんな愛し合い方をしているのだろう? 今回ご紹介する『愛妻日記』(講談社)には、6組の夫婦の性愛物語が収録されている。その全ての作品は、甘く優しい言葉でくるまれたラブストーリーではなく、血の通った人間同士が織り成すヒューマンドラマだ。中でもセックスに対して消極的だった夫婦が、性の開放を遂げる「ホワイトルーム」は、実に興味深い。
主人公の吉田には、同い年の妻・早智子がいる。信用金庫の企画部に所属し、フルタイムで働く早智子は、主人公にとって最高の人生のパートナー。しかし、セックスを除いて。
厳しい母のもとで育てられた早智子は、世間という外敵から身を守るように育てられてきた。日々、かっちりとしたスーツをまとい、ボディラインは固いコルセットで頑丈に覆って出勤している。吉田に抱かれる早智子はまるで人形のようなもので、そのセックスは「必要最低限の営み」でしかない。
そんな早智子との性生活に少々不満を抱いていた吉田だったが、念願のマイホームを購入し、それなりに満足いく生活を送っていた。新築後に買い手が付かずに2年ほどたってしまったモデルルーム仕様の部屋は、新品の家具付きの部屋はお買い得の稀少物件だった。
しかし、ある1本のビデオテープが、吉田の平穏な生活を揺るがすことになる。長年、営業のパートナーとして働いて来た部下・加藤を自宅マンションに招いた時、彼はどこか不自然な仕草をしていた。問いただしてみると、吉田のマイホームは「アダルトビデオに出て来る部屋にそっくり」だという――そのビデオの名は、『ホワイトルーム』。
後日、吉田は加藤に差し出されたビデオテープを確認する。画面に移されている女は、吉田が座るソファに跪いて男優のペニスにむしゃぶりつき、早智子と眠る寝室で、四つん這いになり自慰をする――真っ白な壁と家具に囲まれた吉田夫婦の“ホワイトルーム”は、第三者によって汚く穢されていたのだ。
ビデオに登場する女は、厳格な母への反発心からアダルトビデオへの出演を決意したという。何十枚にもコピーされた母親の写真と目を合わせながら、女は裸を曝し、淫らに喘ぎ、快楽の声を上げていた。
思わず吉田は画面に映る女と妻をシンクロさせてしまう。そして夜、義母が妻を呼ぶように「さっちゃん」と呼びながら妻を抱く。その呼び方はまるで呪文のようで、「さっちゃん」になりきった妻は、吉田の愛撫に順応に応じる。かつて早智子に対して想像もつかなかったほど、激しい欲情の果ての射精……そして、早智子も今までにないほどの快感を得た。
義母が妻を呼ぶように「さっちゃん」と呼びながらセックスをする――この行為は、思わず目を背けたくなると同時に、えも言われぬ性欲をかき立てられるのではと感じてしまう。例えば学生時代、初体験を済ませた後、背徳感で母の顔を直視できなかったように、母とは最も自分の性の匂いを知られたくない人だから。禁忌であればあるほど、人の性欲は振りきれてしまうものなのだ。
人は、年を重ねるごとにセックスへの背徳感が徐々に薄らぎ、自由にセックスを楽しめるようになる。しかし家族同士ともいう肩書きを持つようになると、再びその“背徳”という媚薬がプラスされるように思う。
ロマンティックで幻想的な恋人同士のセックスもいいけれど、家族同士のセックスのような生々しい現実をえぐるようなセックスも悪くはない。上っ面ではない奥深い快楽が得られるのではないだろうか。
(いしいのりえ)