自殺者まで出た異様なミスコンブーム――「美人」が戦後日本にもたらした光と影
■商店街ミスコンに起こってしまった悲劇
そうした「ミス」の重みを感じさせる事件が、ブームのさなかの昭和30年、大阪で発生する。ミスコンに落選したことから、候補者の女性が自殺してしまったのである。
大阪のある商店街が開催したミスコンは、加盟店で買い物をするごとに金額に応じて投票券が手渡され、それによって候補者に投票できるというものだった。ほのぼのとした地域のイベントである。
しかし、立候補したある20歳の女性は、1位を目指してがぜん張り切ってしまった。本人はもちろん、家族も手伝って商店街で買い物をしまくり、女性に投票した。いわば、家族による組織票である。投票数はリアルタイムで掲示されていた。彼女はダントツで1位を独走していたが、本人と家族はさらに買い物を続け、投票を続けた。当然、ぐんぐんと票が伸びていく。締め切り前日には、2位にかなりの差をつけていた。
彼女は「これでもう安心」と思っていただろう。しかし、何と最終日にほかの候補者に逆転されてしまった。絶対に優勝と思っていただけに、女性のショックは大きかったらしい。その結果、睡眠薬で自殺してしまったのである。「たかが商店街のミスコンで……」と思わずにはいられないが、それほどミスコンが、戦後の女性たちにとって大きすぎる希望になっていたということかもしれない。
さて、昭和30年頃をすぎると、次第にミスコンのアイディアが枯渇してきた。そうなると、まったくのこじつけや、どうでもいいようなミスコンまで登場するようになる。例えば、31年8月には逆立ち姿の美人を競うというイベントが行われた。いわゆる『ミス逆立ち』である。参加者のほとんどは普通の高校生や主婦ばかりで、ただ普段着で逆立ちするだけ。中には、注目を集めるために下着姿で逆立ちした主婦もいたそうだが、こうなるともはやバラエティ番組の素人参加企画のようなものであろう。そんな状況であるから、以後、ミスコンブームは急激に収束していった。