セックスレスが免罪符に? 「婦人公論」から見えてきた性への渇望
大変長らくのおまっとさんでした! 「婦人公論」(中央公論新社)、今号はみなさんが待ちに待ったセックス特集ですよ。表紙の真木よう子の横にデーンと「<特集>心とからだを癒やすセックス」の文字。登場するメンツも、安部譲二×山田詠美、美保純×湯山玲子、パンツェッタ・ジローラモとハイカロリー。さらに「知らぬは夫ばかりなり」の覆面座談会、バイブ前線2013、読者体験手記は「うちの夫の奇妙な性癖」などなど、女の女による女のための性の饗宴。しかし、アレ? 「婦人公論」のセックス特集は、例えば「婚外恋愛じゃないと燃えない!」とか「本当のオーガズムを知りたいの!」とか、鼻息荒めに「エロを我らに!!」とプラカード掲げるハイテンションのイメージ。しかしながら今回は「癒やし」です。対談の顔合わせを考えると“癒やし”というより“刺激臭”の趣ですが……。
<トピックス>
◎安部譲二×山田詠美「妄想とユーモアが大人のエロシティズムを刺激する」
◎美保純×湯山玲子「『美魔女』に『女子会』、うつつを抜かすとセックスが遠くなる!?」
◎匿名座談会 妻たちの“夜”の事情、知らぬは夫ばかりなり
■「癒やし」じゃなくて、前のめり!
この「癒やしのセックス」に異議を唱えたのは、巻頭対談「妄想とユーモアが大人のエロシティズムを刺激する」の安部譲二&山田詠美。
「『癒やすセックス』とか『癒やしのために』というのは、私は嘘だと思う。だってセックスって、気をいかせるというか集中力」(山田)
「男っていうのは大抵、一生懸命口説いて、女に『うん』と言わせるんだよ。『一生懸命』と『癒やし』は全然相容れないもんだよ」(安部)
それでは、なぜ今「婦人公論」で「癒やしのセックス」なのか。山田の分析するところによると、「私の年になっていろいろ考えて、モヤモヤしてる人というのは、遊んでこなかった人なんだよね。遊んできた人は『もう老い先短い』とか『遊ぶ暇がないな』と思うようになって、無駄な関係に足を突っ込まないようになってくる。どうしようもなかった性欲とだんだん折り合いがついてくるんです。そうすると決まったパートナーと楽しみたいという気持ちになってきて、多分、ここではそれを『癒やし』と呼んでると思うんだ」。つまり今「婦人公論」世代で性欲にはしゃいでいる人は、然るべき時期に然るべきことをやってこなかったからであるということのようです。遊んできた女は既に「癒やし」のタームに入っているそうですよ。グサグサきますね、こういった「セックス格差」。
しかし想像しますに、アラフィフの「婦人公論」読者は「夫以外知らない」という女性の法が多いのではないでしょうか。そんな夫とも長年ご無沙汰で、「このままでいいのか」という焦りと、「責任取ってよ」という怒りで悶々と過ごす。しかしセックスに一歩踏み出す勇気はない……。