恩赦された女死刑囚の数奇な軌跡――貧困と抑圧された2つの家族に生きた女
死刑確定後も同じだった。模範囚として処してきた宏子だが、ここでもギリギリまで我慢を重ね自分を殺し続けた。そして狂っていった。戦後初の女性死刑囚となった宏子の存在は、現在においてもあまり語られることもなく、歴史の中に埋もれている。宏子が生まれ、育った時代は“戦争”の時代でもあった。満州事変、日中戦争、太平洋戦争、そして終戦。
昭和20年の敗戦で婦人の解放が行われ、女性も参政権を得た。姦通罪も廃止されるなど女性解放が進んでいった。しかし、宏子のような庶民にとって、それはまだまだ名目的なものだった。戦後の経済復興は宏子の元には遠く及ばない。そして女性の解放も。
だが、一方で宏子の存在が世間の主婦たちの同情を引いたことは注目に値する。おそらく現在において同様の犯罪が起こっても、女性たちはそれほど同情を寄せないはずだ。少なくとも全国的な嘆願運動に発展するほどには。そこには当時の同じような境遇の女性たち、自分を殺し、我慢し、家族に尽くした多くの女性たちの存在と共感がある。時代とその境遇に翻弄された宏子という1人の女性の存在。
そこには崩壊した2つの家族も存在した。働かない夫、子ども4人の家族。そして実の父親(と思い込んだ)が妻に虐げられている家族。封建的ではあるが、抑圧され機能しない家族――。その2つの家族の存在が、貧困と共に折り重なり、宏子を犯罪に駆り立ててしまったのではないか。
貧困、食糧難による犯罪が減少に転じるのは戦後から10年近くがたった昭和20年代後半になってからだ。宏子の犯した罪は、決して自分本位な欲望からの身勝手な犯罪とは断罪できないだけに、切なく悲しく映るのである。
(取材・文/神林広恵)
【参照】
『戦後死刑囚列伝』(村野薫著、宝島社)
『女性死刑囚』(深笛義也著、鹿砦社)